大学入試が変わらない限り、私たちの授業は「撥水加工」のままなのか|「現代の国語」の教科書に小説が載った歪み

✿ この記事で分かること

  • 「現代の国語」の教科書の約半数に小説が載ることになった経緯
  • 指針を守った教科書会社が損をする「歪み」
  • 「現場丸投げ主義」と、変わらない大学入試
  • 現場の意識を変えるための2つの柱

今日は、国語教育の現場を揺るがしている「現代の国語」の教科書問題について、一教員としての「現場感覚」を大切にしながら、今の思いをお話ししたいと思います。

「現代の国語」の教科書に、小説が載った

先日、驚きのニュースが飛び込んできました。高校の新科目「現代の国語」の教科書の約半数に、小説教材が掲載されることになったというのです。これ、実はかなり大きな「事件」なんです。

もともとのコンセプト書く、話すといった言語活動を通じて、論理的・実用的な文章の力を伸ばす。「実社会で生きる言葉の力を育てる」という理想
文部科学省の指針小説は別の科目である「言語文化」で扱う
現場の現実「言語文化」では古文の文法や読解も教えなければならず、近代の小説まで詰め込むのは時間が足りなすぎる。現場は「現代の国語の授業でも小説を扱える教科書」を求めた
結果指針に反して小説を載せた教科書が検定に合格し、多くの学校で採択されてシェアを伸ばした。真面目に指針を守った会社は損をする形に

真面目に指針に従った教科書会社が「とばっちり」を食って損をする。これでは「不満たらたら」になるのも無理はありません。当初の美しい理念や理想とは裏腹に、なし崩し的に従来型の「現代文の授業」へと引き戻されていく現状。

「現場丸投げ主義」が招いた結果

私はこの問題を考えながら、結局のところ「現場丸投げ主義」が招いた結果ではないかと感じています。

現場の先生たちの多くは「大学入試が変わらなければ、授業の形は変えられない」と考えています。また、言語活動ばかりを重視する教育に「昔の経験主義教育の二の舞ではないか」と懐疑的な視線を向ける先生も少なくありません。

文科省が学習指導要領を書き換え、教科書を変えれば現場が動く、と考えるのは少し甘いのではないか。そう思わざるを得ないのです。制度だけを整えても、教える私たちのマインドセットが置き去りでは、生徒の心に火は灯らない。

解決の糸口となる2つの柱

  1. 現職教員の研修を「丸投げ」にしない:時間的にも精神的にも余裕を持って学べる機会をきちんと保障する
  2. 教員養成課程の見直し:教員免許状を出すのであれば、大学での学びの段階から、現行の学習指導要領対応の国語を扱うマインドを育てることを重視する

この二つが揃わない限り、現場の先生たちの意識を本気で変えることは難しいでしょう。そして先にも述べた入試の形が変わらない限り、現場も従来型のやりかたで学力を保障しようとするため、変わりようがありません・・・。

✿ まとめ

  • 「現代の国語」の教科書の約半数に小説。指針を守った会社が損をする歪みが生まれた
  • 背景には「現場丸投げ主義」と、変わらない大学入試
  • 現職研修の保障と、教員養成段階からのマインドづくりが必要
  • まずは教員自身が、歪んだ現状から目を背けず立ち位置を問い直す

私の願いはただ一つ。国語の授業がより豊かなものになり、生徒たちが「いきいき」と自分の言葉を紡げるようになることです。そのために、まずは私たち教員が、この歪んだ現状から目を背けずに、自分たちの「立ち位置」を問い直していく必要がある。そんな一石を投じる回になれば嬉しいです。

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この記事はNotebookLMによる文章作成を行いました。
#現代の国語 #国語教育 #教科書検定 #言語活動 #教育の理想と現実

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