※この記事は、note で公開した記事の転載です。元記事:https://note.com/naomistyle/n/n4ceece0619e6
✿ この記事のハイライト
授業がうまくいくと、つい「自分の力だ」と思ってしまいます。
けれど、最初に勤めた厳しい学校や定時制では、一生懸命やってもダメでした。
生徒に「先生、この学校に来たくなかったんでしょ」と言われ、同僚に「定時制の生徒って怖くないですか?」と言われ、私は自分の見誤りを知りました。
その後、国立大附属で上位4%の生徒を相手にしたとき、うまくいった授業は、生徒がもともと持っていた力に支えられていたのではないかと気づきます。
どの現場に立っても鍛えられるという実感と、優劣を超えて認め合える授業という理想、そして、種をまき土を耕すことが8割9割だという考えを綴ります。

■4%の生徒と、その真反対の生徒と
「4%」というのは、いわゆる超進学校が、全体の学力偏差値帯の4%の生徒でできているという話です。
そういう統計を見たことがあります。
私にはその4%の生徒を相手にした経験と、その真反対の生徒を相手にした経験の両方があるので、比べながら考えてみたいと思います。
■「先生、この学校に来たくなかったんでしょ」
最初に勤めた厳しい学校や定時制では、一生懸命やってもダメでした。
「勉強が嫌い」「先生なんて」という拒否反応のある生徒を相手に授業をするハードルは高く、私は挫折感と無力感に打ちひしがれる日々を送りました。
振り返ると、私自身が中高時代にその4%にいました。
国立大附属の生徒で、両親は受験を意識しない人でしたが、小学校の担任の先生の強力なプッシュで受験したのです。
勉強ができて、知的好奇心も旺盛で、いじめもない、いわば温室育ちでした。
そこから厳しい学校に入ると、違和感どころか別世界で、ただもがくだけ。
自分が受けてきた授業のイメージのまま授業をするのですから、合うわけがありません。
ある女子生徒に言われました。
「先生、この学校に来たくなかったんでしょ」
脳天をかち割られるような一言でした。
私は良かれと思った授業を押し付け、できない生徒を見下していたのです。
偏った学力層に長くいると、教育者として自分がどうなのかを見失う。
それを思い知らされました。
■「定時制の生徒って怖くないですか?」
次の赴任校は定時制で、もっと厳しい環境でした。
全日制と併設されていて、全日制の生徒を横目で見ながら登校する生徒たちに、軽蔑の目で見られているように感じて神経が苛立ち、よくトラブルを起こしていました。
そんなある日、親しくなった全日制の若い女性の先生に「定時制の生徒って怖くないですか?」と言われました。
深い溝を感じ、気を張って一生懸命やってきた私って一体何なんだろう、と沈んだ気持ちだけが残りました。
今ならバンバン言い返せますが、あの頃の私は、自分の境遇にへこたれていたのだと思います。
■「自分の力でやったからうまくいく」は、そうそうない
その後、国立大附属で、その4%の生徒を相手に授業をしました。
何かを書かせても、新しい取り組みをしても、それ相応の答えが返ってきます。
それは私が何かをしたからではなく、生徒がもともと持っている能力が優れているからなんですよね。
さほど工夫しなくても、まあまあいい作文が返ってくるので、自分を過信したり見誤ったりしやすいのだと思います。
研究発表を見ていても、これは授業者の工夫なのか、丸投げした生徒の能力に頼っているのではないか、と思うことがあります。
私自身がまさにその場にいたので、そこは厳しく見抜く力がついたと感じています。
自分の力でやったからうまくいく、ということは、そうそうないと思うんです。
そのクラスを受け持った時から種をまき、土地を耕し、コツコツと雑草を取りながら積み上げてきたことが花開く。
土壌作りのないまま行った取り組みは、たいてい生徒の力に頼り切ったものになります。
■どの現場に立っても、鍛えられる
今になって考えると、上位4%の学校も楽ではありませんでした。
上位層に向けて私が勉強し続けないと、生徒は満足してくれないからです。
中間層の学校は実態がさまざまで、試行錯誤の連続でした。
どの現場に立っても自分の未熟さは露呈するし、どの現場に立っても自分は鍛えられるのだと思います。
一番満足できるのは、優劣を超えて、教室の中でお互いが認め合える授業です。
そんな授業ができる日が来るのかは分かりませんが、そこを理想にしています。
今いるところで最善を尽くし、土壌を耕し、種をまき、雑草を取ることが8割9割。
残りの収穫を求めて、地道にやるしかないと感じています。
※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
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