問い作りを国語の授業で取り入れるには?

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「問い作り」という言葉を昨今あちこちで耳にするようになりました。

QFT(Question Formulation Technique)とも言いますね。きっかけは「たった一つを変えるだけ」という本でした。

今回はこのGFTの手法を国語の授業で取り入れるにはどうしたら良いのか、私の試行錯誤をお伝えします。

何らかの参考になれば幸いです。

私と問い作り(QFT)との出会い

私が「たった一つを変えるだけ」の本を読んで以来、このままを国語の授業で投入することはできないだろうか、と思っていても、具体的なイメージがわかず、しばらくは仲間内で話をしているだけでした。

その時、京都産業大学の佐藤賢一先生が、「たった一つを変えるだけ」の著者と実際に会って、その手法について理解を深められ、その上で広めておられるというのを知り、京都までセミナーに参加しに行きました。

佐藤賢一先生についてはこちらをどうぞ。

問い×バックキャスティング | 問いは未来を創るのか?〜 未知を照らす「創造の触媒」としての問い〜 | BackcastingLab.
人工知能(AI)の活用が広がり、人間が頭脳を使わなくてもさまざまな「答え」が無限に生み出せる時代になりつつある。答えに先立つ「問い」はどうだろうか?とりわけ、私たち自身が「自分ごととして取り組みたくなる問い」を、AIは作れるのだろうか?そし...

その後、オンラインも含めて12回ぐらい佐藤先生に教わりました。

本をじっくり読み、さらに佐藤先生のレクチャーを受けて、繰り返し、繰り返し、「問い作り」というものについて考えてきました。

読んだだけではわかりませんし、何度も何度学び直さなければ自分のものにならないと思いました。

その学びを経て、私なりに簡略化して捉えてみました。

問い作り(QFT)の基本的な流れ

この「たった一つを変えるだけ」の本には基本的な問い作りの流れについて、上の図のようなプロセスについて丁寧に説明がしてあります。

問いの焦点」というのは、どうもまだピンときていないのですが、私自身は問いの「テーマ」だと捉えています。

まず「問いの焦点」ついて、できるだけたくさんの「問い」を出します。

その後、グループでそれを共有しながら分類します。オープンクエスチョン(答えが限定されないもの。いろいろな答えが存在するもの。)とクローズドクエスチョン(答えが限定されるもの。すぐに答えが出るもの)に分けたりします。

その後、それに優先順位を付け、深めたい問いを絞り、その後、改めて問いを見直し、解決に向けて答えを探ってく、という段階を踏みます。

私はワークショップを何度も受けましたが、熟達した人はどんどん問いが出てくるんですよね。

けれど不慣れな人はなかなか思いつかなかったり・・・

普段の思考トレーニングが必要なのかもしれないと思いました。

国語の先生同士でやってみた

これをこのまま国語の先生を生徒役にしてやってみました。

問いの焦点は宮沢賢治作「やまなし」です。「やまなし」は何を表現した作品か、ということを焦点にすることにしました。

国語の先生は、いくらでも問いを出し、見事に問いを変換し、優先順位を付け、話し合って答えを探っておられました。

国語の先生はやはり「問う」ことに慣れているので、非常にたくさんの問いを出すことができ、また作品の解釈もできているので、質の高い問いを頻発します。

良い問いは深い読解を基盤にして出てくるものなのですね。

以下、気づきを出し合いました。

●QFTの取り組みは「問題解決に向かっていく」という面もあるが、「問う力をトレーニングする」ということに主眼が置かれているように思える。(アメリカでの取り組みが発祥のため)

●課題発見・解決学習にこれをそのまま取り入れると、「問うスキル」を向上させる方向に力が働くため、本来、自然に生まれてくる「問い」、そこから生まれるモチベーションが問い作りの連続によって置き去りにされていくように感じた。

時間がとてもかかってしまう

●たくさん出てきた問いは最終的に「重要な問い」に淘汰される。たくさんの問いを放置してしまう結果になるのは、気にしない方が精神衛生上、良い。

なるほど、いろいろな問題をはらんでいるように思います。

さて、これを実際に現場で行うことができるのでしょうか。

国語の授業で実際にやってみた

無謀にも「羅生門」でやってみました。

指導過程は上に書いたとおりです。

40人のクラスでトライしてみた結果を報告します。

●生徒が出してきた問いの7割から8割は調べればわかるレベルの単純な問い。

●しかも大量に出してくるので、収拾が付かなくなる。

●問いをオープンにする、クローズドにするということが難しく、そこで時間がかかったり、話し合いが止まったりする。

●結局、教員が大量の問いを分類し、「授業で深めて考えていった方がいいもの」を残すことになった。

●その中から各自で考えたい「問い」を選ばせることにした。

やはり、いきなりこのような大きな教材からスタートするのではなく、ミニレッスンを何度か行ってから取り組んだ方が良いと思いました。

そのためには問い作り日常的に取り組んでおく必要があります。

ちょっとお試ししただけでは生徒にとっても消化不良なので、日常的に小さな取り組みを積み重ねる必要があると思いました。

反省と課題

では取り組み後の反省と課題を箇条書きにしてみます。

●「問う」力を鍛えるには、問い作りのトレーニングを日常的に行う必要がある。

●「たった一つを変えるだけ」の本をまるごと真似してもうまくいかない。そもそも十分な時間が必要。国語科の授業で収まるようにアレンジする必要がある。

●問いを分類するのは生徒の実態や教材の性質に合わせて、授業者で行っても良いし、生徒にさせても良いのではないか。(ゆくゆくは生徒にさせたい)

●結局、読解指導がないと問い出し大会に終わり、深まらない読解指導の中で生徒の出した問いを生かす方法をもっと模索していく必要がある。

●良い問いがすぐにでないのは当たり前。(良い問いが出るときはすでに教えることはないように思う)逆に、そのちょっとした問い、ささやかな気づきを拾って本質的な問いに変換していく授業者の力量が必要。

●「問いを作る」という姿勢は、小学校、中学校、高等学校と、継続的に積み重ねていくことによって、問いを作る力量が積み上がっていくのではないか。(昔の生徒よりも問いが出やすくなっているように感じる)

まとめ

今回のトライは、「問いを立てる」という方法が目的になってしまうのを感じました。

本来のあり方は、学習材に出会って、自然に「なぜなんだろう?」という問いが出てきて、そのうちに解決したくなるというプロセスの中で「問い」が生まれます。

なので、普段の授業では自然な流れで問いを出し、問いを出すスキルを磨く目的でこの方法を取り立て指導としてやってみるのが良いと思いました。

ともあれ、対象に対して「問いを立てる」という行為は、対象に対して主体的に考えて、問題を解決することです。

文部科学省の新学習指導要領の「(2)育成すべき資質・能力について」の「1.育成すべき資質・能力についての基本的な考え方」にもこうあります。

現代的な課題

社会の中で自ら問いを立て、解決方法を探索して計画を実行し、問題を解決に導き新たな価値を創造していくとともに新たな問題の発見・解決につなげていくことのできる人間であること。

そのような生徒を育てることは、生徒に「生きる力を持たせること」につながっていくと思います。

授業の中でどんな形でも、「問いを立てる」場面を作り出していくことが、生徒に「生きる力」を持たせるための第一歩ではないでしょうか。

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