✿ この記事で分かること
- 「初見で読める力」を目指す受験指導への違和感
- 受験の先にある、生涯生きて働く力
- 古典の背景知識を「がっつり型」と「引き出し型」でどう使い分けるか
- 受験のあり方と、教員自身のバージョンアップ

古典の授業で、背景知識をいつ教えるか。迷ったことはありませんか。インスタのDMで届いたある先生の悩みが、私自身のこととして引っかかりました。
この質問には、色々な奥深い話が入っている
質問は、超進学校に勤めている先生からで、「同僚が、初見で読める力をつけさせるために最初は情報を与えないと言っている。どちらがいいのか」という内容です。それはそれで筋が通っている。でも、何かがざわつくんですよね。
読んで、まず思ったのは、「私とこの同僚の先生は、授業の目標が全然違うな」ということでした。私は授業を、知識やスキルの注入だけで終わらせたくないと思っています。生涯生きて働く力になるように授業を考えたい、というのがずっとある。「初見で読める力をつけさせる」という言葉は、どうしても受験指導ラインに乗った言葉に聞こえてしまうんですよね。
受験が終わったら、その力は必要なんでしょうか
もちろん、超進学校では進路実績が大切なので、そういったスキルが求められるのはわかります。でも、受験が終わったらこの力って必要なんでしょうか。
社会に出てからの方が、自分自身で問いを持ち、その問いによって意欲をかき立てられて、どんどん調べていき、自分の認識を深めていく——そういう力の方が、卒業してからも大切なんじゃないでしょうか。
背景知識は、時と場合による
では実際、私はどうしているか。背景知識をいつ教えるかは、時と場合によると思っています。特に導入部分では、生徒の興味関心を喚起することがとても大事になってくる。
私がよくやるのは、アニメを見せることです。この間『平家物語』を扱った時には、アニメのプロモーションビデオを見せることで世界観に没入させる仕掛けを作りました。そこから時代背景の説明に入ると、背景知識がスーっと入っていきやすくなるんですよね。
| がっつり型 | 長編は背景知識をがっつり扱う必要がある |
|---|---|
| 生徒引き出し型 | 短編なら発問で生徒から引き出すこともできる |
扱う素材によって「がっつり型」か「生徒引き出し型」かを、時間数と相談しながら指導者が仕組んでいけばいいんじゃないかと思っています。
受験のあり方と、教員自身のバージョンアップ
今回の質問をいただいて、改めて思わされたことがあります。受験のあり方が変わらないといけないな、ということ。そして教員自身のバージョンアップが必要だな、ということ。
現行の学習指導要領では、対話的で主体的な深い学び、課題解決型、探究型が求められています。でもそれが現場ではまだ浸透していない、もしくは受験指導が先に立ってなかなか実践しにくい——そういうことなんじゃないでしょうか。
この質問を送ってくれた先生は、いつも私が気づいていないことに「はっ」とさせてくれます。一人で抱え込まず、こうして問いを投げ合える仲間がいること、私はとても助かっています。
✿ まとめ
- 「初見で読める力」は受験指導ラインの目標。その上位には、生涯生きて働く力がある
- 背景知識をいつ教えるかは、時と場合による
- 導入ではアニメなどで世界観に没入させると、背景知識がスーっと入る
- 長編は「がっつり型」、短編は「生徒引き出し型」
受験が終わった先に何が残るか、問い続けながら、私もまだ答えを出せていません。
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※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
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