「最新」の教育は、実は「過去」の知恵と同じだった?|振り子のように揺れる教育の歴史と、変わらないもの

✿ この記事で分かること

  • 「新しい教育」に感じる不思議な既視感
  • 経験主義と能力主義を行き来してきた、教育の振り子の歴史
  • 歴史が繰り返されても変わらない、たった一つのこと

最近、私の配信では「自由進度学習」の話題が続いていますが、いろいろ試行錯誤する中で、ある確信にたどり着きました。それは、私たちが今「新しい!」と飛びついているものの多くは、実はかつて先達が大切にしてきたことの「問い直し」に過ぎないのではないか、ということです。

かつての「単元学習」を丁寧に行えば、その中に自ずと自由進度的な学びは含まれます。中央大学の樋口万太郎先生も仰っていますが、しっかりした授業の構造化と教員の支援、そして何よりベースにある生徒との信頼関係がなければ、どんなに新しい手法も砂上の楼閣になってしまいます。

「新しい教育」に感じる、不思議な既視感

最近、教育現場では「自由進度学習」や「探究型学習」という言葉が飛び交っていますよね。私も実際に取り組んでみて、いろいろと配信でもお話ししてきました。でも、ふと立ち止まって考えてみると、不思議な既視感に襲われることがあるんです。

それは今から10年ほど前、私の住む県で「学びの変革アクションプラン」というものが策定された時のことです。今の学習指導要領を先取りするような内容で、課題発見・解決型の授業をどんどん進めようという空気になりました。

私も必死にそれを読み込んだのですが、読めば読むほど「あれ? これって私がずっと尊敬してきた大村はま先生の単元学習と同じじゃない?」って思ったんです。私にとっては、決して「新」でも何でもなかったというか、むしろ馴染みのある世界でした。

振り子のように揺れ動く、教育の歴史

実は教育の歴史って、ずっと同じところをぐるぐる回っているような、あるいは右へ左へと大きく揺れる「振り子」のようなものなんです。

昭和20年代アメリカから入ってきた「経験主義教育」。経験こそが生きる力になると説いた
昭和30年代「活動あって学びなし」という批判から「能力主義」へ。説明文の読解力向上などが叫ばれ、教える側が主導権を握る
昭和50年代以降「落ちこぼれ」が問題になり、また主体性が重視される。やがて「ゆとり教育」へ
その後学力低下が騒がれ、また「揺り戻し」が来て学力重視へ

こうして見ると、私たちは「経験」と「スキル」の間をずっと行ったり来たりしているんですよね。

この構造は、ファッションにそっくりです。私たちが昔着ていたような服を、今の若い子が「これ新しい!」と喜んで着ている。古臭いと思っていたものが、一周回って新しさを纏って現れる。教育もまさに、こうした「再帰性(問い直し)」の歴史なんです。

歴史の波の中で、絶対に変わらないもの

言葉が新しくなったり、仕組みが少し変わったりすることはあっても、その核心にあるメッセージはいつの時代も同じではないでしょうか。

私が思うに、歴史がどんなに繰り返されても変わらない普遍的なものは「生徒が一生懸命、主体的に取り組む」というその一点だけです。手法はどうあれ、生徒自身が「やってみたい」と身を乗り出さなければ、どんな知識も吸収されることはありません。

現場で戦うあなたへ

今、新しい教育の波に飲み込まれそうで、不安を感じている先生も多いかもしれません。「もっと新しいことをしなきゃ」と焦る必要はないんです。

大切なのは、時代の言葉に踊らされることではなく、その波の底にある「普遍的なもの」をしっかり見据えること。生徒との信頼関係という土台の上に、授業の構造をしっかりと組み立てること。それさえあれば、流行りの言葉が何であれ、あなたの授業は揺るぎません。

✿ まとめ

  • 「新しい」教育の多くは、先達が大切にしてきたことの問い直し
  • 単元学習を丁寧に行えば、自由進度的な学びは自ずと含まれる
  • 教育は経験主義と能力主義の間を振り子のように行き来してきた
  • 変わらないのは、生徒が一生懸命、主体的に取り組むという一点

振り子がどちらに振れていても、私たちは目の前の生徒が「主体的」になれる場を作るだけ。肩の力を抜いて、一緒にこの再帰性の波を乗りこなしていきましょう。

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※この記事はNotebookLMをアシスタントとして使用しました。
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