偏差値70から教育困難校まで|多様な現場を歩いて辿り着いた「場作り」の真実

✿ この記事で分かること

  • どんな授業も、土台の信頼関係がなければ空転する理由
  • 国立大附属・総合学科・教育困難校・定時制で、場作りがどう違ったか
  • 映画「国宝」の場面から考える、「教員という鎧を脱ぐ」姿勢

キラキラした言葉の陰で起きている「空回り」

今の教育現場って、自由進度学習とか自己調整学習とか、なんだかキラキラした言葉で溢れていますよね。もちろん、それ自体はとても素晴らしいことだと思います。

でも、長年教壇に立ってきた私がつくづく思うのは、その「土台」がしっかりしていないと、どんなに良い授業を投入しても、全部スカスカに滑っていってしまうんじゃないか、ということです。どんなに高度なスキルを磨いても、クラスの人間関係が「安心安全」でなければ、学びは深まりません。

最近の流行りに乗っかってみるものの、なんだかクラスが落ち着かない、手応えがない……。そんな「空回り」の感覚に、多くの先生が苦しんでいるのではないでしょうか。

多様な現場で経験した「場作り」

私はこれまで、本当にいろんな生徒実態の学校を渡り歩いてきました。

国立大附属生徒の知的好奇心に助けられ、教員としての「甘え」が出てしまう怖さを知った
スポーツ好きが集まる総合学科生徒たちの「チームのために頑張る」という素直なポテンシャルに助けられ、一番やりがいを感じた
教育困難校授業規律を一つ作るのにも一苦労。ある程度の「圧」をかけたり、エンターテインメント性を発揮したりしなければ、授業のスタートラインにすら立てない。生徒指導のスクランブルが常にかかりっぱなし
定時制高校家庭の機能不全や経済的な困窮。教員というより、もはや福祉のレベルで関わらなければならない生徒たち。当初の私のことは「先生」とは認めてくれなかった

定時制高校での経験は、私の教員人生を根底から揺さぶるものでした。自分の無力感に打ちのめされる日々で、ただ寄り添うこと、共に生きることしかできなかった、トライアンドエラーの連続だったあの頃は、今思い出しても本当に厳しかったです。

「教員という鎧を脱ぐ」

そんなボロボロの経験を経て、私が見つけた一つの答えがあります。それは、教員自身が「教員という鎧を脱ぐ」という姿勢です。

「国宝」という映画の中で、お師匠さんが弟子に向かって三指をついて「ありがとうございました」と深々と頭を下げる場面がありました。定時制の生徒たちも、まさにそうでした。教員が「教えてやっている」という高いところから話すのではなく、一人の人間として、彼らに向かって「今日もお付き合いありがとう」と深々と頭を下げるような、そんな謙虚な姿勢が必要だったんです。

「安心安全な場」というのは、綺麗な教室や洗練されたシステムで作るものではありません。教員が自らの立ち位置を常に問い直し、たとえ空振りしても、失敗しても、泥臭く生徒一人ひとりと向き合い続けることでしか、その土台は築けないのだと思います。

✿ まとめ

  • どんなに良い授業も、安心安全な土台がなければ空転する
  • 場作りの難しさは、生徒実態によってまったく違う
  • 答えは「教員という鎧を脱ぐ」こと。一人の人間として頭を下げる謙虚さ
  • 安心安全な場は、泥臭く生徒と向き合い続けることでしか築けない

授業がうまくいかない、生徒と心が通わない。そう思って、自分の力不足に落ち込んでいる先生、大丈夫ですよ。長年やってきた私だって、今でも「本当に場作りができているかな?」と自問自答する毎日なんですから。

土台作りは時間がかかるし、一筋縄ではいきません。でも、そこを諦めずに目指していきたい。バタバタと走り回りながらでも、生徒と共に生きるその時間が、いつかきっと、あなたにとってもかけがえのない宝物になるはずです。今日もお疲れ様です。一緒に、ぼちぼちやっていきましょう。

あわせて読みたい

※この記事はNotebookLMをアシスタントとして使用しました。
#学級経営 #安心安全な場作り #教育現場のリアル #教員生活 #授業づくり

コメント

タイトルとURLをコピーしました