✿ この記事のハイライト
母校の大学の学会で、丸山眞男「『である』ことと『する』こと」を軸にした単元「君たちはどう生きるか――『である』と『する』のカオスの中で」を発表しました。目標の二重構造論に基づき、身近な話題から抽象度を上げていく二層構造の単元です。質疑応答では「一層と二層は逆でもよかったのでは」「線を引かせたことが要約に意識を向けさせ、内容吟味を妨げたのでは」という、自分では思いもしなかった指摘をいただきました。そして大学の先生から「先生にとって探究的な単元構想とは何か」と問われ、私が一番言いたかったことを話せました。
自分を鍛え直す、捉え直す
大学の学会での発表には、普通のイベントや小さな授業報告とはまったく種類の違うプレッシャーがかかります。夏休みを返上して来られる本気度の高い先生方、錚々たる教授陣が聞き手だからです。子育てが落ち着いてからは4、5年に1回、最近は3年に1回くらいのペースで発表しています。日本国語教育学会の全国大会でも過去3回発表しましたが、今は若手にチャンスを、という流れ。年長者の私でも受け入れてくれる母校の学会は、本当にありがたい場所です。
視野が狭くなっていないか、独善的になっていないか。発表すること自体が、自分を鍛え直す、捉え直す、ゼロベースでも見てもらえる貴重な機会になっています。
聞き手の顔がちょっとでも上がるように
20分の持ち時間に対し、18〜19分で終えました。原稿を読むスタイルは安心感がありますが、私は別にスライドを作り、要点を中心に話しました。せっかく前に立つのだから、聞き手の顔がちょっとでも私の方に上がるようにしたい。顔が上がると私も話しやすくなり、その場の双方向性が高まります。
マイクを使った発表だったので、普段のポッドキャストの調子が出て、響く自分の声を聞きながら調整できました。抑揚の上げ下げ、速度の微調整、声にちょっとしたツヤを出すこと。意識しなくても自然にできていて、日頃の積み重ねで鍛錬されているのだなと実感しました。
自分が思っていないことをズバッと指摘してくれる
単元は、一層目でYouTubeやポッドキャストなど身近な話題から問題意識を提示し、二層目で抽象度を上げて時代背景へと深めていく立体構造にしました。
質疑応答では、導入に入れた安部公房「良識派」と「『である』ことと『する』こと」の親和性が高く興味深い、というコメントをいくつかいただきました。
質疑応答でいただいた指摘
● 一層と二層の構造は、逆でもよかったのではないか
● 本文に線を引く作業が要約に着目させ、内容をじっくり吟味する活動につながらなかったのではないか
身近な問題からのスタートしか頭になかった私には、逆にする発想はありませんでした。もしかしたら逆の方が良かったかもしれません。線を引いた場面でも、生徒のコメントは深まりませんでした。要約する・問題を解く作業と、全体を読解して深めていく作業はまったく違う。改めてわかりました。
読み比べをするために教材を選ぶことはしない
一番ありがたかったのは、大学の先生からの「先生にとって探究的な単元構想とは何か」という質問です。ここが、私が最も言いたかったことでした。
読み比べのために読むのは授業の中の行動で、日常生活や社会でやる活動にはつながっていません。だから私は、生徒が何に悩み、何を問題としているのかをもとに単元を立ち上げたい。教科書教材を使うなら、その教材が今の生徒とどうつながるのかを起点にしたいのです。
大学生になったとき、社会で問題にぶち当たったり岐路に立ったりしたときに、何をよりどころにし、何を比較の対象として読めばいいのか、この授業を思い出してほしい。自由になるために、自分自身を点検し、監視し、分析し、情報を組み合わせて考え続けてほしい。
社会に出ても生きて働く力になるように、という思いで単元を構想しています、とお話ししました。
この問いは私自身の問いだった
発表後、所属する研究会「広島水脈の会」の若手の先生からLINEが届きました。後ろの席の教育学部出身の卒業生が思わず「すごい」とつぶやいていたこと、大学の先生2名や附属の先生1名から次々と質問が出たのは聞きたくなる発表だった表れでは、という言葉に胸が熱くなりました。
この会で育てていただいた御恩返しのつもりの報告でしたが、この経験を次の世代につなげることが私の次の役割だと感じています。
一方で、横並びのシラバスや時間数の制限、資質・能力主義の影響で目標がスキルに偏りがちな現場の息苦しさは今も続いています。「である」と「する」のはざまで何をすべきか。監視し、点検し、自己批判し、学び続けるしかない。「カオスの中で」という問いは、私自身の問いだったのです。
※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
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