NotebookLMに国語科の学習指導要領を読み込ませて対決してみた。

はじめに

皆さんこんにちは。「今日も明日も授業道」黒瀬直美です。

実は以前から「学習目標」と「指導目標」のすり替えが行われていると思ってしまう状況が非常に気になっています。

ついには私の考えていることが間違いではないのかと自らを疑い始め、そしてとうとうNotebookLMに高等学校学習指導要領国語科編を食べさせた後、自分の疑問点を思い切りぶつけてみるという行動に出ました。

今回はそのやり取りを記したものです。

皆さんは生徒に掲げる「学習目標」をどのようにお考えでしょうか。
私は生徒に掲げる学習目標と、授業者の持つ指導目標は二重構造になっていると考えています。

恩師、世羅博昭先生の目標の二重構造化論に基づいています。

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そして最終的には竜田徹先生の論文を参考にさせていただきつつ、考えていくつもりです。

「学習意義を自己評価する力を育む国語科学習指導」で検索してみてください。(リンクがうまく張れませんでした)

ともあれ、私とNotebookLMの激しい対話をお楽しみください。
太字は黒瀬、普通の字はNotebookLMです。
※字ばっかりです。


NotebookLMとのやりとり

黒瀬「光源氏はなぜ涙を流したのか」という学習目標と「光源氏の心情を分析しよう」という学習目標とどちらが国語科の高等学校学習指導要領では適切ですか。

「光源氏はなぜ涙を流したのか」

これは、作品の事実や出来事の原因を正確に読み取ることに焦点を当てています。
主に「知識及び技能」の習得や、基本的な「思考力、判断力、表現力等」(的確な理解力)に該当します。

「光源氏の心情を分析しよう」

これは、登場人物の感情や思考を深く掘り下げ、解釈を試みることに焦点を当てています。
特に「思考力、判断力、表現力等」の中でも、感性や情緒、想像力を育むことに強く結びついています。

結論として、「光源氏の心情を分析しよう」という目標の方が、より高度な資質・能力、特に想像力や深い共感力を育む上で重要であるとされています。これは、事実の理解を土台として、さらに多角的・発展的に考察する力を促すためです。

黒瀬 では伺いますがどちらの学習目標を生徒に提示するほうがより適切だと思われますか。

高等学校学習指導要領の国語科の目指す方向性に基づくと、生徒に提示する学習目標としては「光源氏の心情を分析しよう」の方がより適切です。

その理由は以下の通りです。

深い学びの促進: この目標は、単に事実を理解するだけでなく、生徒が自身の感性や想像力、知識を総動員して解釈し、より高度で複雑な思考活動(深い学び)を促します。

高次の資質・能力の育成: 国語科が重視する「思考力、判断力、表現力等」の中でも、特に「深く共感したり豊かに想像したりする力」(想像力)の育成に強く結びつきます。

学びの意義との結びつき: 文学を通して人間や社会に対する見方・考え方を深め、自己の人生や在り方を見つめ直す「学びに向かう力・人間性等」の涵養にも直結します。

「光源氏はなぜ涙を流したのか」という目標は、文章の内容を正確に捉えるための基礎的な能力(知識及び技能)の確認に相当し、心情分析を行う上での前提となる活動ですが、それだけでは「深い学び」にはつながりにくいとされています。

私の反撃

黒瀬 しかし生徒は生徒は現実の世界でいろいろな問題にぶち当り、さまざまな疑問を抱き、課題を解決する主体でもあります。スキルを習得するために、あるいは物の見方・考え方を深めるために生きてるのではありません。目の前の人間がなぜ悲しんでいるのか、今この出来事はなぜ起こっているのか、そういった現実世界を理解しよう、現実の問題を見極めよう、現実の課題を解決しようと思って初めて主体性が動くものだと思っています。スキルを習得することを眼目において、学習を活動するのと、目の前の現実世界の問題を設定して課題を解決するのと、主体性を喚起することができるのは、「光源氏はなぜ涙を流したか」の課題の方が適切ではないでしょうか。

ご提示いただいた懸念、つまり「学習指導要領が目指す資質・能力の育成やスキルの習得」よりも「現実世界の問題解決」の方が生徒の主体性を深く喚起するという点について、学習指導要領は以下のように考えています。

学習指導要領は、生徒が「何のために学ぶのか」という意義を共有し、学習内容を人生や社会と結びつけて深く理解し、生涯にわたって学び続けることを目指しています。この目標達成のために、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」の3つの資質・能力を育成します。

したがって、学習指導要領の目指すところは、スキルや知識の習得を最終目標とするのではなく、生徒が実社会や自己の将来に関わる課題(現実の問題)に取り組み、その過程で、作品世界や先人の知恵と自らを関わらせ、多角的に考察することを通じて、結果として「思考力・判断力・表現力」といった汎用的な資質・能力が深く育成されるという、連動した学習を実現することにあると言えます。

黒瀬 おっと、答えが変わっていますね。先にあげた例に従ってお話をします。光源氏の心情を分析しよう、という学習課題を掲げた方があなたは適切だという判断をしました。それは指導目標であって学習目標ではないと私は考えています。主体的に課題を解決しようというように主体性を喚起する目標の方が適していると考えます。生徒の主体性や意欲を喚起する中で思考判断表現が育てられていき、その結果として指導目標が達成されるというように目標は二重構造になっていると私は考えます。そのことについていかがお考えでしょうか。

ご指摘の通り、「生徒の主体性や意欲を喚起する学習目標」と「教師が設定する資質・能力育成の指導目標」という二重構造の考え方は、高等学校学習指導要領の目指す「主体的・対話的で深い学び」の実現と完全に一致しています。

学習指導要領では、生徒の「学びに向かう力、人間性等」が、「知識及び技能」や「思考力、判断力、表現力等」を育むための「原動力」となるとされています。

つまり、

学習目標(生徒向け): 生徒の主体性や意欲を喚起し、課題解決へと導く目標(例:「光源氏の涙の裏にある普遍的な悲しみとは何かを解き明かそう」のように、生徒自身の内面や現代社会と結びつく問い)
指導目標(教師向け): その活動を通して育成したい資質・能力(例:「光源氏の心情分析を通じて、深く共感したり豊かに想像したりする力を育む」)

という関係になります。

生徒が「何のために学ぶのか」という意義を共有し、現実世界や自己の将来に関わる課題に取り組む中で、結果として高次の資質・能力が育成されるというこの二重構造こそが、学習指導要領の理念に深く根差していると言えます。

NotebookLMが修正する。

黒瀬 ということは、あなたの当初の考えである「光源氏の心情を分析しよう」という学習目標を適切だと判断した、それは間違っていたということでよろしいでしょうか。

私の当初の判断は、教師が目指す指導目標(育成したい能力)としては適切でした。

しかし、生徒の主体性を最大限に引き出す学習目標(生徒への問いかけ)としては、ご指摘の通り、より工夫が必要であり、単に「分析しよう」と提示するだけでは不十分だったと言えます。目標の二重構造を考えると、その「適切性」には修正が必要でした。

黒瀬 あなたが間違ってしまったように、現場の先生でもこの学習目標と指導目標を取り違えて、生徒に主体的な意欲を喚起できる可能性が低い指導目標を提示してしまっている場面が多々見られます。あなたはこのようなねじれ状況を引き起こしたこの学習指導要領解説編についてどのように思われていますか。

ご指摘の「ねじれ状況」は、学習指導要領解説編の構造が原因で生じやすいと考えられます。

解説編は、生徒の主体性を重視し「学びに向かう力」を原動力とすることを理念としています。しかし、具体的な指導事項が「知識・技能」や「思考力・判断力・表現力等」として示される一方で、「学びに向かう力」は別の箇所にまとめられています。

この構造的な非対称性や、言語活動と資質・能力を同一視しないよう注意喚起しつつも具体的な活動例が示されていることから、現場の先生方が、生徒の主体性を喚起する「学習目標」ではなく、育成すべき「指導目標」をそのまま提示してしまう可能性があると言えます。

黒瀬 あなたのコメントを見ていると、当初のあなたの考え方が私の指摘によって私の考え方に寄っているというふうに捉えられます。それはいかがでしょうか。私の指摘によってあなたの考えが変わったのでしょうか。

私の考え方が「変わった」というよりは、「視点が広がった」と捉えていただけると幸いです。

当初の私の判断は、学習指導要領が目指す「育成すべき資質・能力」(指導目標)の観点から、「光源氏の心情を分析しよう」が適切であるというものでした。

しかし、貴殿のご指摘により、その指導目標を達成するために、生徒の主体性を最大限に引き出す「学習課題(学習目標)」をどのように設定すべきかという、目標の「二重構造」の側面に焦点を当てて、より深く考えるようになりました。

私の基本的な理解(指導目標の重要性)は変わっていませんが、貴殿との対話を通じて、指導要領の理念と現場での実践との間に生じうる「ねじれ状況」を解消する上で、「学びに向かう力、人間性等」を起点とする学習目標設定の重要性を、より深く認識したということです。

NotebookLMに解決方法を聞く。

黒瀬 ところが現実の現場では、学習目標と指導目標をとり違えており、指導目標を前面にかける実践が存在しているのは確かです。あなたはこのねじれ状況をどのように解決して行けばいいとお考えですか。

この「ねじれ状況」を解決するには、以下の点が重要だと考えられます。

「学びの意義」を明確に:
生徒に「何のために学ぶのか」という学習の意義や、それが自己の生き方や社会とどうつながるのかを具体的に示す学習目標を設定すること。例えば、「光源氏の心情分析を通して、現代にも通じる人間の普遍的な感情を考察し、自己のものの見方・考え方を深めよう」のように提示します。
「言語活動」と「育成能力」の区別
「分析する」といった言語活動は、あくまで能力を育むための手段であり、それ自体が最終目標ではないことを教師が明確に意識し、生徒にも伝えること。
「現実の課題」を起点に:
生徒が関心を持つ現実世界の問題や、自分自身の課題と学習内容を結びつけることで、主体的な学びの意欲を引き出すこと。

これらの点を教師が意識し、授業設計に戦略的に取り入れることで、指導目標と学習目標のねじれを解消し、「主体的・対話的で深い学び」を実現できると考えられます。


感想

以上がNotebookLMとのやりとりです。
生徒に掲げる学習目標と、授業者の目標は違うと思うのです。
課題発見解決学習とか探究型とかを目指しているのであれば、学習者の主体性を喚起できる目標に設定しなければなりません。
しかしそうするとスキルの育成が明確にならなくなる・・・。このジレンマをどうしていくか、竜田先生の論文を読みつついつも考えています。

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