※この記事は、note で公開した記事の転載です。元記事:https://note.com/naomistyle/n/n20cd8f365189

✿ この記事のハイライト
国立大学附属校時代、私は年に3回、1回につき5人ほどの教育実習生を担当し、3年間でおよそ45人と向き合ってきました。
今回は笠原先生の配信「教育実習の指導教員として」に触発されて、その経験を振り返ってみました。
指導教員がついパワハラ的な圧をかけてしまう構造的な落とし穴、生徒観・指導観・教材観という授業の土台を固めることの大切さを振り返ります。
そして、簡素な指導案で教室を引き付けた女性の実習生と、完成度の高い指導案を書きながら授業がぎくしゃくした男性の実習生という対照的な二人のエピソードを紹介します。
その気づきと、指導教員自身が鍛錬し続ける必要についてお伝えします。
「私はこんなに苦労してきたのに」という落とし穴
国立大学附属校に勤めていた頃、教育実習は年に3回あり、1回につき5人ほどを担当していました。
3年間でおよそ45人です。
数えてみて、ちょっとびっくりしました。
教育実習指導には、指導教員がついパワーハラスメント的な圧をかけやすいという構造的な落とし穴があると思います。
未熟な実習生が教壇に立つのだから、しっかりしてもらわないと困ります。
そこに長年の自負心が加わると、「私はこんなに苦労してきたのに」という圧に変わります。
そして、24時間教材研究しろと言わんばかりの価値観を押し付けてしまうのです。
私自身、実習中は5時間ほどしか眠れない日が続いたので、実習生が飲み会に行ったと聞くとイラッとしたこともありました(笑)
ただ、子育てをしながら働いてきた私には、ワーク&ライフバランスは大事だという信条がありました。
実習生には「どんなに遅くても18時には退勤するから」と伝え、早く帰って勉強しなさいとも言っていました。
そのうえで、18時までにいかに密度の濃い話し合いをするかに力を入れていました。
「その導入で本当に生徒は面白いと思う?」
笠原先生がおっしゃる生徒観・指導観・教材観の指導には、強く共感しました。
このベースがなければ、教材を処理するだけの空転した授業になってしまいます。
何度もリテイクを出し、遠回りに見えても徹底的に固めさせました。
実習生の導入は、自分が受けてきた授業を踏襲しがちです。
古典なら、作品の概要や歴史的位置付けから始めるような教科書的なものになります。
そこで「その導入で本当に生徒は面白いと思う?」と問いかけ、終結とのつながりを意識させながら単元構想を一人一人コーチングしました。
附属校で定番だった構造的板書の計画も丁寧に練らせ、飛躍や抜けがあれば一緒に考えました。
指導案のシンプルな中身の10倍ぐらいの力
対照的だった二人の実習生がいます。
日本語教育専攻の女性の実習生は、正直すっごくシンプルで淡白な指導案を書いてきました。
ところが教壇に立つと、生徒の引き付け方も発問応答の間の取り方もうまく、指導案のシンプルな中身の10倍ぐらいの力を発揮したのです。
聞けば、日本語教育の実習ですでに10回以上模擬授業をし、そのたびにダメ出しを受けて立て直してきたとのことでした。
一方の男性の実習生は国文学専攻の大学院生で、平安中期の古文が専門だったと思います。
学問的な裏付けのある、完成度の高い指導案を書いてきました。
けれども授業では受け答えがたどたどしく、書き言葉と話し言葉の力は別物なんじゃないかと感じました。
授業もリズムが生まれず切れ切れの断片的な展開になり、本人も頭が真っ白になる状態が続きました。
それでも場数をふんでみるみるうまくなっていきました。
自分自身がその何倍も授業について理解していなければ
指導案の完成度と授業展開力は、必ずしも一致しません。
この二人から、教壇に立つ経験の蓄積がいかに大切かを学ばせてもらいました。
実習生ごとに言語環境も教育観も違う以上、助言もその都度変えなければなりません。
その後、県立高校で一人の実習生をじっくり担当したときには、余裕を持って指導できました。
大学の先生から「素晴らしい仕上がりになりましたね」と評価されたこともあります。
人に授業を教えるためには、自分自身がその何倍も授業について理解していなければならない。
その当たり前を、改めて確認しました。
この経験を次世代に伝えていくことが、これからのライフワークになっていくのかなと、しみじみ思っています。
※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
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