※この記事は、note で公開した記事の転載です。元記事:https://note.com/naomistyle/n/n23ad88f37db3
✿ この記事のハイライト
古文の文法中心の学習、いわゆる訓詁注釈主義は「前世紀の遺物」として長く批判されてきました。
私自身は実は内容中心主義で育ち、その洗礼は受けていません。
けれども教壇に立って気づいたのは、文法を土台にして読むと妄想に陥らず、解釈がぐっと深まるということでした。
ただし文法の全範囲をカバーするのは不可能です。
そこで私は、用言・助動詞・助詞の三本柱に絞り、あとは「出てきたところで覚えようね」というスタンスで教えています。
『方丈記』「安元の大火」の「けり」と「き」から、鴨長明の息遣いまで感じられる。
それが文法学習の本当の価値だと思います。
そして、単調になりがちな文法を、ボケたり突っ込んだりしながら楽しく教える工夫についてもお話しします。

前世紀の遺物、悪の遺産
先日、Xで古文の品詞分解ノートが話題になりました。
手書きした本文の左右に、文法事項がびっしり書き込まれた解説ノートです。おそらく生徒さんのノートではないかと思います。
古文教育では、文法中心の学習方法、いわゆる訓詁注釈主義が長く批判されてきました。
文法を教え込むあまり、生徒が事務的な作業に追われて古文が面白くなくなる、という批判です。前世紀の遺物、悪の遺産とまで言われてきました。
この批判の気持ちも、私は大変よくわかるんです。
講義形式で文法を並べられるだけでは、退屈な授業以外の何ものでもありません。
私自身、中高時代はどちらかというと内容中心主義で、訓詁注釈主義の洗礼は受けていません。
妄想に陥らなくて、ぐっと解釈が深まる
そのまま教壇に立ち、実際に教えてみると、大きな気づきがありました。
文法事項をしっかり理解して、それを土台にして読むと、妄想に陥らなくて、しっかりした解釈になり、ぐっと解釈が深まるんです。
その時代の、その書いた人が、その言葉で考えたことをそのまま理解していく。
つまり一次情報に当たるということで、品詞分解はとても大切な段階だと思います。
私が勤めてきた進路多様校でも、助動詞に限定して深く切り込み、文法事項をきちっと押さえると、生徒は面白がるし、解釈も深まるし、本当に反応が良かったです。
絞る戦略
ただ、文法は範囲が広く例外も多いので、文法だけで古文の授業が終わってしまう危険があります。高校で全部をカバーするのは不可能だと思います。
そこで発想を変えました。
文法を学ぶ目的は、正確である程度深い解釈ができるようになることです。
だから文法書を全部やる必要はなく、本当に必要な文法に絞って教えればいい。
私の三本柱は、まず動詞・形容詞・形容動詞という用言の活用。
次に助動詞で、これが全体の6〜7割を占めます。
そして、解釈の方向性が決まってしまう助詞。
それ以外の細々したところは「出てきたところで覚えようね」というスタンスです。
係助詞などはセット化してカードにしています。
3年間一緒にやっていると、重要な表現は何度も繰り返し出てくるので、ちゃんと定着していきます。
筆者の息遣いが感じられる
文法をやっていて一番やりがいを感じるのは、その文章を書いた筆者の息遣いが感じられることです。
たとえば『方丈記』の「安元の大火」。
誰かから聞いたことを、ある程度距離を置いて語る間接体験の「けり」と、自分自身が目の前で見たときに使う直接体験の「き」。
これに着目して読むと、火事を目の前で見ながら書いているのか、過去を振り返って書いているのかが明確になります。
鴨長明の執筆の立ち位置、人間としてそれをどう捉え、感じているのかという息遣いまで感じられるんです。
これが文法学習の本当の価値なんじゃないかなって思います。
ボケたり突っ込んだりしながら
けれども、文法学習は機械的で単調になりやすいんですよね。
だからこそ私は、エンタメ性を取り入れています。
身振り手振りや実例を交えながら、ボケたり突っ込んだりして、生徒が退屈しないやり取りを挟むよう心がけています。
最近の共通テストでは細かい文法事項は問われなくなっていますが、正確でスピーディーな現代語訳を支えるのはやはり文法的な理解です。
訓詁注釈主義を全面否定するのではなく、必要な部分に限定して、楽しく教えていく。
古文は人間の思考や時代を理解するための大切な扉であり、文法学習はそれを支えてくれると思っています。
過去に撮った私の文法指導の動画を置いておきますので、よろしければフォームから申し込んで、ご覧ください。
▶ https://forms.gle/WUXC1m4fwiKgtoR59
※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
#古典教育 #古文文法 #国語教育 #授業づくり #方丈記


