※この記事は、note で公開した記事の転載です。元記事:https://note.com/naomistyle/n/n345639330258

▼ハイライト
「板書は終わり」「板書は一切しない」という声にずっと引っかかってきた私が、校内の元校長先生のお話と、ディープリサーチで集めた5つの研究をもとに、板書を再定義してみました。
手書きとタイピングの違い、体を動かすことと記憶の関係、脳のネットワーク、ビョーク教授の「望ましい困難」、そして小学校低学年が黒板を写すときの負担。
黒板を写すという一見大変で非効率な行為が、なぜ長期的な学力につながるのか。
手書きに戻ってきた私自身の体験も交えて綴ります。
デジタルとアナログをどう使い分けるかを考えるヒントになれば嬉しいです。
板書は終わり?
SNSで「板書は終わり」「板書は一切しない」と言われるたびに、板書の重要性を感じながら授業してきた私は、かなり引っかかるものを感じてきました。
その引っかかりを、そのたびに振り返り、考えてきました。
先日、黒板の文字をなかなか写せない生徒を目にして、校内で長年生徒の発達や認知を研究し、論文もたくさん発表されている元校長先生に相談しました。
iPadに表示されたものを横のプリントに写すより、黒板を見て視線を変えて手元に写すほうが、認知的な負荷は高く難しい。
その難しさで写せない生徒がいる一方で、黒板を写す行為そのものが学力を高めているのだと、複数の論文を引きながら根拠づけて説明してくださいました。
今回はこれを裏づける研究をディープリサーチに依頼し、板書を私なりに再定義してみます。
手書きは、遅いからこそ頭の中を整理しながら書く
ミュラーさんとオッペンハイマーさんの2014年の研究では、タイピングでノートを取る人は講義をそのまま書き写しがちで内容が頭に入りにくく、手書きの人は応用問題で良い成績を出し、その効果は1週間後のテストでも続いたそうです。
理由は書くスピードで、遅いからこそ要約や言い換えをしながら書くことになり、深い思考と記憶につながります。
私自身、研修会ではパソコンやiPadでデジタルに残そうと挑戦してきましたが、いつの間にか手書きのメモに戻ってきて、今ではもう手書き一本やりです。
前世紀の古い人間なのかなと思っていたのですが、結局、脳に残りやすいほうを無自覚なまま自然と選んでいたのですね。
これからは胸を張って手書きで臨みたいと思います。
体を動かすことが、記憶を助ける
ロングキャンプさんの研究では、手書きのとき、手の動きをイメージする脳のエリアが活発に働き、後から文字を見ると身体のイメージが自然とよみがえるそうです。
目で見た記憶と体で覚えた記憶がダブルで定着を支えてくれます。
さらに手書き中は、短期記憶を保つシータ波と、長期記憶のスイッチを入れるアルファ波がキャッチボールをするように働いているといいます。
めんどくささが、脳にとっての「望ましい困難」
ビョーク教授の「望ましい困難」は、楽ですぐ結果が出る方法より、あえて学習のスピードを遅らせるハードルのほうが、長期の記憶にも応用力にも優れるという考え方です。
手書きはタイピングより時間がかかり、頭も手も使うので、ちょっとめんどくさい。そのめんどくささが、脳にとっては望ましい困難なのだと思います。
黒板を見上げた子の頭は「いっぱいいっぱい」
国際医療福祉大学の研究では、小学校低学年の子どもは、黒板を見上げてからノートに視線を移すまでに、1〜2文字しか頭にキープできないそうです。
大人が思う以上に、黒板の文字を頭に入れるだけでいっぱいいっぱいで、視覚や空間の領域をフル稼働させています。
ここを鍛えることで長期記憶の力が上がり、思考力も深まっていくのだそうです。
現場の実感と研究が重なった
元校長先生の生のお話を聞き、納得せざるを得ませんでした。
一見大変で非効率な「黒板を写す」という行為が、脳に深く働きかけて学習効果を高めている。
板書が大切と何度も配信し、グラレコ大事と言ってきたのは現場に立つ実感からでしたが、研究と照らして、確信に変わりました。
もちろんデジタルにも良さがあります。
また、手書きがどうしても無理だという特性の人もいるということには注意をする必要があります。
あれがいい、これがいい、という話の前に、発達段階や授業の目的に応じて使い分け、生徒それぞれに配慮しつつ、ICTと板書の効果的な使い分けをこれからも試行錯誤していきたいと思います。
※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
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