
Podcastのハイライト
かつての私は、教育困難校という荒波の中で、折れそうな心を「努力」という鎧で固めて必死に教壇に立っていました。
「自分はこんなにやっているのに、なぜ周囲は、生徒は変わっていないのか」。
そんな不満と焦燥で息苦しかった私に、あるベテラン先生がやんわりと、でも核心を突く言葉をくれたんです。
「努力する人はね、他人にもそれを求めてしまうんよ」。
その瞬間、張り詰めていた糸がプツンと切れたような衝撃がありました。
自分が正しいと信じて疑わなかった「頑張り」が、知らず知らずのうちに誰かを、そして自分自身を追い詰めていた。
そんな私の苦い失敗と、たどり着いた「自分を変える」という答え。
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Podcastの概要
皆さん、こんにちは。黒瀬直美です。
病み上がりからようやく復活し、久しぶりに豆から挽いたコーヒーを味わいながら、日常の尊さを噛み締めています。
今回のテーマは「努力をすることの副作用」について、私自身の苦い経験を交えてお話ししました。
私は幼い頃から、親や先生の言うことをよく聞く、いわゆる「コツコツ努力するタイプ」の子供でした。
教職に就いてからもその姿勢は変わらず、当たり前のように一生懸命頑張ることがスタンダードだと思って生きてきたのです。
しかし、その「正しさ」が、いつしか自分自身や周囲を無意識に追い詰めるものになっていたことに、当時は全く気づいていませんでした。
若い頃、教育困難校に歴任していた時期は過酷でした。(15年間もいました)
どれほど努力を重ねても事態が好転しない焦りの中で、未熟だった私は「私はこんなに頑張っているのに、なぜあの人は頑張っていないのか」という不平不満や不公平感を募らせていました。
そんな私の内面を見抜いていたのでしょう。
ある人格者のベテラン女性教師が、何気ない瞬間にこう言いました。
「努力をする人はね、他人にも知らず知らずのうちに努力を求めてしまって、それが息苦しさを生んでしまうんよ」。
この言葉にハッとさせられた私は、自分の努力の「目的」を深く問い直しました。
「他人に認められたいから」「優位に立ちたいから」……。
いつの間にか、当初の「生徒に主体的に学んでほしい」という純粋な願いが、エゴにすり替わっていたのではないかと立ち止まったのです。
結局のところ、どんなに血の滲むような努力をしても、他人(生徒や同僚)を直接変えることはできません。
変えられるのは自分だけです。
生徒が変わってくれないと嘆くのではなく、自分自身が変わり続け、その姿を通じて周囲に良い影響を与えられる人間になること。
それこそが、たどり着いた結論でした。
今の私は、努力の熱量で人を窒息させるのではなく、自分自身がしなやかに変化していくことを楽しみたいと思っています。

もちろん、ずっと走り続けるのは疲れてしまいます。
休みの日はあえてダラダラしたり、リラックスしたりする「ずるさ」を持ってバランスを取ることも、長く教育の道を歩むための大切な知恵だと感じています。
努力が苦しくなっている全ての先生に、このメッセージが届くことを願っています。
この記事はNotebookLMによる文章作成を行いました。



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