貧しさは、教育力だった──「やることがないから」学んだあの頃

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こんにちは!「今日も明日も授業道」パーソナリティの黒瀬直美です。

この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性のリアル、そしてデジタル時代の教育について、ゆるっと語っています。

さて今日は第238回。「貧しさは教育力──今時なかなか経験できない生育状況を語る」というテーマでお届けします。


勉強ってどうすればするようになるの?

先日、先生方と「どうすれば生徒が勉強するようになるか?」という話をしていた時、ふと思い出したことがありました。

「自分が子どもの頃、どうやって学びに向かっていたんだろう?」

その答えは、私自身の“ちょっと不便だった”子ども時代にありました。


節約上手な三姉妹、長女でした

私は三姉妹の長女。父は大学を出ずに就職し、何度か転職を経てサラリーマンに。母は専業主婦で、たまにパートをするくらい。いわゆる“普通の、少し節約をしなければならない”家庭で育ちました。

お小遣いは学年×100円というルール。小1で100円、小2で200円…中学では月1000円、高校では1500円。だから、何かを買うにも戦略が必要でした。

たとえば、妹とお小遣いを出し合ってマンガ月刊誌「なかよし」一冊を買う。増えたら今度は「リボン」も!

そんなふうに、本当に欲しいものを吟味して、丁寧に読む。お便り欄もペンフレンド募集欄も、隅から隅まで。


遊びは“工夫”から生まれるものだった

当然、遊びもお金をかけずに済ませる必要がありました。

ゴム飛び、鬼ごっこ、石や葉っぱを使った自然の遊び。与えられたもので遊ぶのではなく、「ない中から生み出す」工夫が求められたんです。

いま振り返ると、これが創造力や問題解決力の土台になっていたんじゃないかなと思います。


やることがなさすぎて、教科書を読む

家には娯楽がほとんどありませんでした。

ラジカセもない、テレビのチャンネル権も父に取られてる、スマホなんてもちろんない。

だから、「やることがない」→「何かを読むしかない」→「教科書を読む」という流れが自然に生まれました。

やがて百科事典にも手を伸ばし、「適当にページを開いて読んでみる」→「面白い言葉が出てくる」→「また調べる」という探求ループにハマっていきました。


参考書は「母の財布がゆるむ特例」

参考書ならOK!という家庭のルールもありがたかったです。

母に頼んで世界史の参考書を買ってもらい、ひたすら読んでいました。安くて文字が多い本を選んで。暇だったんです。だから読んでいた。ただ、それだけ。

それでも結果的に、歴史に対する興味や知識がどんどん深まっていきました。


「なかったからこそ」ついた学力

スマホもラジオもCDもなかった時代、唯一手元にあったものが教科書や参考書や辞典でした。

自分の意思というよりも「しょうがなく」読んでいた。それが結果的に、知識の蓄積となり、探求する態度を養っていたのです。

情報を繋げて考える力、言葉と言葉の関係に気づく力、わからないことを深掘りするクセ──どれもあの“貧しさ”から生まれた副産物でした。


いまの子どもたちは「ものに囲まれすぎている」?

最近の子どもたちを見ていると、あまりにも“モノ”に囲まれていて、かえって「学び」の面白さを知らずに育ってしまっているのでは、と感じることがあります。

便利な世の中はありがたいけれど、工夫する余地が減ってしまっているのかもしれませんね。


教育とは何かを、改めて考える

「どういう環境が教育にとってよいのか?」

これは一概には言えない問いですが、私自身の体験を思い返すと、「不便な状況」や「退屈な時間」が、知らず知らずのうちに学びへの扉を開いていたのだと思います。


さいごに

今日は、「貧しさは教育力だった」という私の原体験をお話ししました。

今も昔も、子どもたちにとって「学ぶことの意味」をどう伝えるかは、私たち教師の大切な使命です。そんなことを、ふと立ち止まって考えるきっかけになればうれしいです。

それでは、また次回お会いしましょう!
聞いてくださって、ありがとうございました。

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