国立大附属の生徒の望む国語の授業とは

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はじめに

今日は、少し変わった内容をお届けしたいと思います。タイトルは「国立大附属の生徒が望む国語の授業」です。普段は困難校での経験について話すことが多いのですが、自分が長年厳しい環境でやってきたという矜持もあり、そうした発信に偏りがちでした。

でも、国立大附属での勤務経験もあり、レベルの高い生徒たちと授業をしてきたので、その話もしてみようと思います。

国立大附属の役割

国立大附属の役割としては、まず未来の教育者を育てるという大きなミッションがあります。教育実習は年に3回行われ、多くの実習生が来ます。1人の教員が5、6人の実習生を担当することもあり、それぞれに指導を行うので、授業の準備や指導案の確認、反省会など、非常に忙しかった記憶があります。実習生を指導するのは大変でしたが、自分自身も多くを学びました。

また、教科教育の研究機関としての役割も大きく、毎年研究大会が開かれ、1年を通して研究テーマに取り組み、論文作成や研究授業を行います。このように、先進的な教育研究を担う機関としての使命がある学校でした。

生徒の実態

生徒たちの学力レベルも非常に高く、偏差値70を超える生徒も珍しくなく、平均的には60〜65くらいでした。進路先としては、東大や京大に進学する生徒が毎年10人前後、私立では早稲田や慶応に多くの生徒が進学していました。医学部に進学する生徒も多く、ハイレベルな学校でしたが、生徒たちは精神的には普通の高校生とあまり変わらず、異性関係や人間関係など、他校の生徒と同じような悩みや戸惑いを持っていました。

生徒の望む授業とは

ただ、付属校であることを理解している彼らは、受験対策をあまり求めていませんでした。私が着任したばかりの頃、県立高校で教えていた授業をそのまま行ったところ、「先生の授業はレベルが低いね」と言われたことがありました。この経験から、生徒たちの要求に応えるために、私は一念発起して教材研究に没頭しました。彼らはレールに敷かれた授業やワークシートに穴埋めをするような授業を嫌がり、認識が変わる瞬間、つまり「目を開かれる」ような授業を望んでいたのです。

例えば、評論文をただ読むだけではなく、読み取った後に論理的に分析したり、構造化したりしながら、皆で協議し、新たな視点を発見して深掘りする授業が好まれました。そして、その理解を表現することが彼らの求める授業だったのです。

ある東大に進学した男子生徒は、教科書に載っている評論文はすぐに理解できてしまい、授業中に自分の意見を語り始めたことがありました。授業内容に関連しながらも、相撲の話を引き合いに出して、最後には授業の内容に結びつけるという、見事なパフォーマンスを見せてくれました。こうした新しい価値を創り出し、質の高い表現をする授業が彼らにとって望む授業だったのです。

彼らは受験勉強は塾で行い、学校では学びを深める場としていたようです。卒業後、大学生活を送っている生徒からは「先生、言われたことしかやらない人が多くて面白くない」といった声も聞かれましたが、それほど彼らは学びに対して貪欲であったのだと思います。

一例として、私は「城の崎にて」という教材を使った授業を行ったのですが、これが非常に好評で、生徒たちは卒業旅行で城の崎温泉に行き、「城の崎にてごっこ」をするほど楽しんでいました。学びを喜び、日常生活でも楽しむ姿が印象的でした。

実は私も

ちなみに、私自身も国公立大附属中高一貫校の出身で、文法中心の授業や受験対策授業はあまり受けてこなかったので、自分で勉強して大学に進学しました。

そんな中、私が一番心に残っている本が2冊あります。中学時代に読んだモーパッサンの『女の一生』と、岩波新書の『インドで暮らす』です。これらの本を通じて、女性として生きる困難や、民族の偏見、社会の仕組みについて深く考えさせられました。

これらの経験から、私も国語の授業で「認識変革」、つまり新しい価値観を学び取る授業を大切にしていきたいと強く感じています。受験対策とどう両立させるかという課題はありますが、真の学びとは何かを大切にして、今後も授業をしていきたいと思います。

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