
荒れた教室を安心安全な場に変えていく。
これが、私がこれまで経験してきた中で最も難易度の高い仕事です。
生徒が荒れる背景には、生育歴も家庭環境も学力も特性も複雑に絡み合っていて、表面的な注意やマニュアル通りの指導では心は動きません。
心理的安全性の確保は授業以前の問題なのに、後回しにされがちです。
そこを飛ばせば、一斉授業も協働的な学びもパフォーマンス課題も結局は機能しない。ICTもAIも、その土台の上にしか乗らないと考えています。
一番難しいのは、土台をつくること
これまでいろいろな学校で、いろいろな生徒実態の教室を担当してきました。
その中で最も難易度が高いと感じているのは、荒れた教室を安心安全な場に変えていく、その土台づくりです。
生徒と信頼関係を築き、その上ではじめて授業に向かわせる。この一連のプロセスが、一番地味で、一番難しい仕事だと思っています。
難しさの正体は、生徒の実態を理解することそのものにあると思います。
生徒が荒れてしまう背景には、一人一人に異なる生育歴、家庭環境、学力、特性があり、それらが複雑に絡み合っています。
取り組むべき内容が一人ずつ違うのです。
その違いを総合的に判断して、その子に合った指導ができるようになるには、相当な経験と鍛錬が要ります。
表面的な注意やマニュアル通りの指導では、生徒の心は動きません。その子の良いところも悪いところもきちんと捉えた上で、まず肯定的に見る目を持てているかどうか。そこが重要な分かれ目になると感じています。
生徒指導的な働きかけと授業展開を同時並行で処理しながら進める授業は、本当に難易度が高いです。
正直に言えば、そうした配慮をあまり必要としない教室は楽だなと、今でも思うことがあります。
土台を飛ばすと、どんな方法も機能しない
心理的安全性の確保を飛ばして授業だけをやりくりしようとすると、一斉授業はもちろん、グループワークもパフォーマンス課題も結局は機能しなくなります。
では、問題をどう解決するか考えていくと、最終的には地道な場づくりに立ち返るしかないのだと思います。
SNSを見ていると、キラキラした実践が流れてきます。
私もそんな実践を発信している一人になっていないかと、いつも批判的に自分に問うています。
以前、「心理的安全性が確保できない状況ならもう一斉授業という形態を選んでいる」と発信されている先生がいて、深く納得しました。
私自身も、講義形式や一斉授業に戻す場面があります。その方がうまくいくケースがあるからです。
一斉授業でも、生徒が深く考えていれば、それは主体的・対話的で深い学びになっていると考えています。個別最適、協働的な学び、自己調整学習といった言葉が盛んに語られる一方で、生徒実態という前提の重さを、もう一度考える必要があると思います。
厳しい現場から逃げない
厳しい生徒実態の中で、一生懸命に優れた授業をされている先生方は数多くいらっしゃいます。
けれども、そうした実践はなかなか前景化されません。
先進的でハイレベルな実践の方が評価されやすく、現場の厳しさは学校の評価にも関わるためSNSでは発信しにくい、という事情もあると思います。
年齢を重ね、さまざまな教育現場を歴任してきたからこそ、厳しい現場で頑張る先生たちを応援したい気持ちが年々強くなっています。
自分が華やかな実践発表をする場面があっても、その裏にある厳しい現実と向き合う気持ちを絶対に忘れずにいたい。
発信する際にその視点を持っているかどうか、そこを自分で突き詰めているかどうかで、発表の意味合いは大きく変わると思っています。
そのため、私はイベント登壇の際、冒頭部分に自分の経歴をお話ししています。
教育の技術も、ICT活用も、AI活用も、安心安全な場があってこそ機能します。
生徒実態に最も合った選択ができるよう、授業に対するカードをたくさん持ち、豊かな授業デザイン力を持って、厳しい現実にも目を向け続けたい。
そのために工夫し続ける、アップデートし続ける、そのことで、厳しい生徒実態でがんばっておられる仲間の先生を応援したいと思っています。
皆さんの教室では、生徒実態に合わせてどんな工夫をされているでしょうか。
※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
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