国語教育の「ボトム」を支える教師たちへ、誇らしい物語をこそ

こんにちは、黒瀬直美です。

先日、ある学会に参加して、非常にレベルの高い発表や先進的な取り組みの数々を拝見してきました。

複数教材を組み合わせた単元構想、グループ学習やパフォーマンス課題を取り入れた対話的な授業。参加者の意識も高く、学びとして得るものの大きい、素晴らしい大会でした。

でもその一方で、長年感じてきたモヤモヤが、また少し強くなりました。今日はそのことを、あえて率直にお話ししたいと思います。

学会で評価される実践の、その前提

学会で高く評価される実践の多くは、私が思うに、ある程度の深い思考力と高い表現力が前提条件として必要になるような・・・気がします。

でも私が定時制や教育困難校から国立大学附属まで、幅広い現場で勤めてきた経験から言うと、そういう前提が成り立つ生徒は、現場では2割、大げさに言っても3割程度しかいません。

残りの7割ほどの生徒は、そもそもそういう状況にありません

基礎基本を積み上げることが精一杯という子たちが、たくさんいるわけです。

本を読むというところ、教材と向き合うというところに向かわせるだけでひと苦労する生徒もいれば、文章を綴ろうにもどう綴ればいいのかわからないという生徒もいます。

それが3割ほど。残りの4割、5割はまあまあ普通、という感覚です。

それなのに、学会ではそうした基礎基本を丁寧にやるという実践は、なかなか前景化されません。

大学というところはそもそも高度な学問を収める場所であり、高度な実践を通じて新しい国語教育のあり方を模索していくところなので、それは当たり前のことでもあるのですが、もともと高い思考力や表現力を備えていない子どもたちを長年相手にしてきた身としては、そこに強い違和感を覚えるのです。

小さな発見にも、同じだけの価値がある

例えば私は、漫画を活用して授業に全く興味のない生徒を引きつけ、やっと授業に前向きにさせて、生徒たちが一生懸命考えたことをアウトプットし、表情が明るく前向きになって次の学びへとつながっていく、そういう実践をよくやってきました。

これは、複数教材を組み合わせてグループ学習やパフォーマンス課題に先進的に取り組む実践と、全く同じだけの価値があるはずだと私は思っています。

なぜなら、その生徒の思考が深まったという点では、同じだからです。

文語文法の「ぬ」と「つ」の違いがわかって、文章での使われ方から解釈が深まった。それだってその生徒にとっての大きな発見であり、大きな思考の深まりです。

でも実践発表や研究発表の場面では、そういったことはなかなか扱われません。

学びがスローペースな子が試行錯誤して新しい認識に至る。

そのブレイクスルーのための見取りと足場掛けをしている先生方が、この国のボトムを支えていると私は思っています。

高い偏差値帯の生徒が難問をクリアすることと、学びから疎外されていた子が一歩踏み出してブレイクスルーをしたこと。

この二つは、教育的な価値として同じです。

むしろ後者のほうが、より高度な見取りと足場掛けが必要になる場合が多いとさえ思います。

様々なテクニックを駆使してその子自身のブレイクスルーを支えてあげないといけないです。

指導者の持っているカードが多ければ多いほど、それが可能になっていきます。

混沌とした現場でこそ、大事にしたいこと

学会で評価される実践の多くは、一定以上の言語活用能力があることを前提にしているように感じます。

でも一般的な先生方が向き合っている環境は、様々な学力帯の生徒が幅広くいて格差があり、外国籍の生徒や、インクルーシブと言われるような様々な特質を持つ生徒もいる。

まさに一般社会の縮図のような混沌の中で、多くの先生が頑張っています。

そういった現場での実践をこそ、私は大事にしたいのです。

そこで改めて大切にしていきたいと思うのは、生徒の主体性から単元を立ち上げること。

教師が教えたいことや読解スキルの習得ではなく、生徒が知りたいこと・やりたいことを起点にすること。

そして生徒たちを必ず褒め、励ますこと。

ジャッジして評価するのではなく、評価は励ましとしてあること。

安心・安全な場をつくること。

答えが間違っていても、そこに至るまでの努力やプロセスを必ず評価して認めること。

成長することを信じ、成長したことを高く評価することです。

ナンバー2に学ぶ、という単元

そこで思い出すのが、ある学校で行った「ナンバー2に学ぶ」という単元です。

学力が真ん中くらいのその学校で、自分はリーダーにはなれないと、常にトップを走る子に引け目を感じていた生徒たちのために立ち上げました。

古文や漢文の中に登場するナンバー2のキャラクターたち。

決して前面には出ないけれど、大事な立ち位置で、さりげなくしかし力強く働く。

そういった存在の働きを読み取ることで、トップでなくてもナンバー2がこの世界を支えているのだという認識を新たにし、生徒たちは自分自身の生き方を誇りに思い、ナンバー2としての自分の生き方を再定義していきました。

古文や漢文が時空を越えて、今ここにある自分の悩みと結びつき、新たな生き方へとつながっていった瞬間。

この取り組みは、今でも忘れられません。

学会の輝きと、現場の土台と

学会で称賛される実践には、突き詰めたところでの美しさや、究極の目的を私たちに指し示してくれる素晴らしさがあります。

ここまでいけるんだと思うことで、自分自身の取り組みも頑張ろうと思える。それは確かに大切なことです。

でも実際の社会では、自分たちの足元、土台作りをちゃんとやっていかなければなりません。

基礎基本こそが、社会の土台を支えている。そう私は思っています。

学会での素晴らしい発表から学ばせていただくことはとても必要です。

でも同時に、あまり勉強が得意でない生徒が生き生きと目を輝かせて取り組み、「次の授業も楽しみだな」と思ってもらえるささやかな授業も大切なのではないかと思うのです。

前景化されない、前に出てこない取り組みをしている先生が、7割、8割いらっしゃると思います。

毎日毎日、授業に向き合わせるだけで精一杯という先生たちも、たくさんいらっしゃると思います。

そういった先生方にエールを送りながら、私自身もこの国の「ボトム」を支えているということを、誇らしく思いながら実践を続けていきたいと思っています。

※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。
#国語教育 #授業づくり #教師の仕事 #基礎基本 #教育現場

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