生徒に「先生」じゃない扱いを受けた経験

定時制高校の夕方の出勤

山田洋次監督の「学校」という映画をご覧になった方がいれば、あの映画の導入部分を思い出して欲しい。夕方四時頃、人々が一日の終わりを何となく感じるけだるい時間に、一人の定時制教員が出勤してくるシーンだ。

西田敏行扮する主人公の教員の行く先は、制服を着た学生が行き来する、 夜間中学であった。日も暮れると、様々な年代の様々な格好をした生徒たちが登校してくる。そして授業風景。

真面目な生徒、全く授業に心が向いていない生徒、不器用そうにただ鉛筆を動かす生徒、そして彼らにすっかり馴染んだかのように自然体に授業をしている先生。

この映画を見た時、その導入部分でもはや私は涙が止まらない状況になってしまった。それは、どうにも表現しようのない感情である。

「学校」という分類の中では少数派の夜間の学校で、歓喜、憤り、あきらめ、努力、辛抱、そんな言葉では言い尽くすことの出来ない、貴重な体験をした。今回は、そのごく一部をご紹介しようと思う。

新任者紹介での衝撃

最初に定時制高校に赴任したのは、教員になって三年目の春であった。それまで中学・高校と進学校に通い、大学を卒業して、そこそこの学歴を積んだ私は、初任校で商業高校に勤務することになった。

その商業高校はかなり厳しい底辺校であり、授業の成立自体が困難な状況で、試行錯誤の二年間であった。

やっと慣れたころに結婚の関係で異動となっのであるが、定時制ということで心引き締まる思いはしたものの、今まで二年間底辺校でやって来たんだから、という自負があったのも確かだ。

しかし、初めて定時制の生徒を見た時、その自負はどこかへ吹っ飛んでしまったのである。

それは始業式の新任者紹介の時であった。 何人もの金髪の生徒、金髪どころか虹色の髪の毛の生徒、たばこを吹かす生徒、眉毛を抜いている生徒、靴の踵を踏み、ズボンをずらして、横柄な態度でふんぞり返っている生徒、その陰でおびえるように萎縮している生徒、派手な化粧で挑戦的な目で見つめる女子生徒・・・・・・。

そのあまりの状態に私は絶句してしまった。商業高校以上に荒れている、いわゆる「ヤンキー」たちと、ちゃんとやっていけるんだろうか、授業なんてできるんだろうか……。 果てしない不安が私を襲っていたのである。

アイデンティティーが崩れ去る

それから辛い日々が始まった。

一時間目、働きながら学校に通う彼らはなかなか五時半の始業時間に学校にたどり着けない。 ぽつり、ぽつりと教室に入ってくる生徒に、大学で学んだような指導案なんて全く通用しない

授業を聞くように注意しても、先生の評価を全く気にしない生徒たちは耳も貸さない。また、ここでは非常に書きにくいが、法律に触れるような、生命の危険すら伴う出来事も多々あった。

まさしく授業が授業でない、そういう状態に私自身がまずパニックになった。

私には、当時教員は授業が本領だという意識を高く持っており、また教員になったのも、やはり授業をしっかりやっていき、力量をつけていきたいという思いからだったため、授業が成立しない、もしくは成立以前の状態であるということは、自分の教員としてのアイデンティティーの問題であった。

自分の根幹が揺らいだのである。

生徒は先生らしく注意する私をからかうような目で見つめ、バカにする。先生らしく真面目に応対し、権威を振りかざす私をばっさばっさと切り捨てていくのである。

女子生徒など、「私あの先生、嫌い。前の先生が良かった。」と心ない一言を聞こえるように言ってくる。

男子生徒は、「注意する時の声が良い感じじゃ」とか「泣きそうになっとる」などの言葉で 私をからかいに来るのである。

 ここで「先生」 という肩書きのついた 私は全く通用しない。相手は今まで学校というシステムの中ではじき出され、「先生 」というものによって、常に低い評価をされてきた生徒たちばかりである。

 私は「先生」 という立場を脱ぎ捨てて その後に残る「私」を出して勝負することを要求された。 しかし、先生を脱ぎ捨てた 「私」に何が残るというのだろうか。

 時の共有

そんな迷いと不安の中、「先生なんかやめてやる」と何度も思い、 それでも毎日毎日生徒と過ごし、 時間を共有していった。

 次第に何かが見えてきた。先生という仮面 を生徒に剥がされた私は 、そこにまた新しい自分の個性を作り始めていたのである。

 真面目な受け答えしかできなかった私であるが、 定時制の生徒は冗談がうまい。 様々な困難な状況や劣等感を 独特のユーモアで切り抜けてきた 彼らに影響され、 私の冗談も 格段に レベルが上がった。

すると彼らは「話の通じるやつ」という認識で面白がって話をしてくれる。 そして笑い合ううちに気持ちが通じていく。

 また大人しい生徒や何に対しても否定的な生徒には、とにかく 挨拶や 声掛け、 授業が成立しない分雑談をするようになった。

だんだんと向こうから話しかけてくれ、言葉を発しないまでも、 反応するようになり、 ある時は 突然 人生相談になったりもした。

 つまり、 彼らと時間を共有することを通して、私自身が先生としてでなく、生徒をそのまま受け入れていき、 先生の仮面が剥がれ落ち、 一人の個性ある人間として作られていき、そこで初めて生徒と 心から通じ合ったのである。

その頃の定時制の生徒たちを思い出してみると、 十人十色である。 全日制の生徒たちとは全然違う 圧倒的な個性は、彼らの厳しい 生育歴とも関わっているのだろう。

 そういう彼らに私は鍛えられた。十人十色の彼らに触れることで、自分のものの見方、考え方がより深くなっていったのである。

※「月刊国語教育」東京法令出版 2005年1月号 「礼子式部日記」~先生を脱ぎ捨てた礼子 定時制での経験~より抜粋

「先生」じゃなく「人間」としての勝負

今振り返ってみると、相当厳しい生徒実態の学校であったようだ。

今もう一回勤務しようとすると、体力が持たないかもしれない(笑。

「先生」となる人は、ある程度落ち着いた学校で過ごしてきたので、多様な実態の生徒を知らないまま、先生になる。

教育実習も母校か、大学の附属かでやっていると思うので、いざ、現実の教育現場になると、そのギャップに参ってしまう。

そういう所も経験して「先生」になった方が良いと思うけど、そうなると、きっとなり手がいなくなるだろうなあ~

どうしたらいいんでしょうね・・・

だんだん、厳しい教育現場経験マウントみたいになってしまっているので(笑)この辺でやめます。

若手の先生を励まそうと思ったけど、そんな記事にならなくて済みません(汗

ブログでもさらに修正を加えて書いております。

https://www.naomi-sensei.com/ningentosite/

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