
Podcastのハイライト
「先生に褒められたい」「良い成績が欲しい」。
そんな下心が透けて見える、完璧すぎる振り返りコメントを前に、私はふとペンを止めました。
教育現場に「振り返り」が定着し、評価の対象となった今、その言葉は時に評価を勝ち取るための「記号」へと変質してしまいます。
良かれと思って続けてきた「毎時間の振り返り」が、いつしか生徒の思考を縛る「型」になってはいないか。
20年の試行錯誤を経て辿り着いた、生徒が「本当に書きたい」と思う瞬間の作り方について、私の失敗と発見をありのままにお話しします。
Podcastの概要
現行の学習指導要領で「振り返り」という言葉が強調される前から、私は授業の最後に「まとめ」や「感想」を書く時間を大切にしてきました。
それが、生徒自身が自らの学びを自覚するための「振り返り」へと進化した今、私は「現在・過去・未来」という3つの時間軸を意識した項目を立てています。
学習前の自分(過去)、学習による発見やスキルの獲得(現在)、そして次への展望(未来)を、指導目標とクロスさせて問いかけるのです。
その他に振り返りの意義を挙げましょう。中学1年生の実践です。
当時の生徒たちは「書くこと」に慣れておらず、一行を書くのにも苦労していました。
そこで私は、一学期間「毎時間」振り返りを書くことを課しました。「同じことでもいい、言葉を変えてとにかく指定の量まで埋めなさい」と背中を押し、書かれたものをクラスで全力で褒めることで、生徒たちは次第に抵抗なく次第に言葉を紡ぐようになりました。
この時期の目的は、あくまで「書くことへの習慣化」であり、その点において大きな成果を上げました。
しかし、振り返りには、実は落とし穴があります。
それは「振り返りの形骸化」と、生徒による「忖度(そんたく)」です。
振り返りを毎時間のルーチンにし、さらにそれが成績評価に直結するようになると、特に学力の高い生徒ほど「高評価をもらうための定型文」を使いこなすようになります。
思ってもいないことを、あたかも深く学んだかのように書く――。
主体性を評価しようとすればするほど、生徒から真の主体性が失われていくという皮肉な矛盾に、私は強い危機感を抱くようになりました。
こうした経験を経て、現在の私は書くことになれるという目的の時以外は「毎時間書かせる」という縛りを手放しました。
代わりに、単元の節目や「ここぞ」という、生徒自身の心が動いたタイミングを見極めて書かせるようにしています。
また、ICT(ロイロノートなど)を活用し、生徒の記述をリアルタイムで共有してフィードバックを行うことで、「評価のための提出物」ではない、仲間と学びを深め合うための道具として振り返りを再定義しています。
振り返りは、生徒が自分の伸びを実感し、次の一歩を踏み出すための「鏡」であるべきなのです。
この記事はNotebookLMによる文章作成を行いました。



コメント