210_「場は共有しても思考はともにしていない」問題を感じつつも、国語科における自由進度学習の取り入れ方について考えた。

Podcastのハイライト

皆さん、こんにちは。黒瀬直美です。

最近よく耳にする「自由進度学習」。

私もオンライン交流会に向けてにわか仕立てで勉強してみたんですが、正直な感想は「うわ、これ負担感すごっ!」でした

いざ現場でやろうとすると教材準備や環境整備のハードルがめちゃくちゃ高いんですよね。

先日開催した交流会でも、「イメージが持てない」「生徒が自立していない学校では無理では?」と本音の突っ込みが炸裂しました。

今回は、そんな現場の「もやもや」を整理しながら、私たちがパンクせずに「ゆるりと」取り入れるための現実的な落とし所について、コーヒーでも飲みながら一緒に考えていきましょう。

https://youtu.be/OMeF6rbIBP0

Podcastの概要

「自由進度学習」という言葉の重圧に、おろおろしてしまう私

最近、SNSで「自由進度学習」って言葉、よく見かけますよね。

有名な有識者の方も推奨されていて、なんだか「これからの学びはこれだ!」という強い風を感じます。

私、今回の交流会のテーマにするために4冊ほど本を読んでみたんですが、読めば読むほど「これ、まともにやったら先生が倒れるんちゃう?」っていう、とてつもない負担感に襲われたんです。

特に中高の国語科って、扱う文章がめちゃくちゃ複雑じゃないですか。

文化的な背景や社会的な文脈が絡み合っているものを、生徒が一人で取り組むことができる「個別最適」に深めていけるのか。

そもそも、スキルの段階分けがしにくい分野なだけに、どうデザインすればいいのか・・・。

交流会で突きつけられた、現場の「闇」と「リアル」

オンライン交流会で皆さんに投げかけてみたら、やっぱり出るわ出るわ、現場の生々しい課題が。

「学習者が育っていない学校に無理やり投入しても、ただ崩壊するだけじゃないか」という否定的な意見。

そして私が一番「確かに……」と唸ったのが、「場は共有していても、思考はともにしていない問題」です。

みんな同じ教室に座っているのに、考えていることがバラバラで、深い学びの「響き合い」が消えてしまうんじゃないかという不安。

これは国語教師として、かなり耳の痛い、でも無視できない指摘でした。

私自身、かつて研究授業なんかで「新しい形」を追い求めすぎて、自分だけが空回りして、生徒の意識がふっと飛んでいく……そんな失敗を何度もしてきました。

自由進度学習を「やること」自体が目的になって、肝心の生徒が置き去りになっては本末転倒ですよね。

「部分的導入」から、ゆるりと始めてみませんか

じゃあ、自由進度学習は無理なのか?というと、そうでもありません。

話し合っているうちに、「あ、これ実は普段の授業でやってるんじゃないか」っていう部分も見えてきたんです。

例えば、土台を一斉授業で作った後に、自分のとらえ方をスライドでまとめて発表させる。これだって立派な「自由進度」の要素ですよね。

そう考えると、今までの授業の中に入っている!

それならば、「まずは部分的プチ導入から」という形です。

フルバージョンの自由進度学習に正面から挑んで過重負担で潰れるくらいなら、読解のスキルを意識させる「読解方略」や「フレームリーディング」と組み合わせたりしながら、ちょっとずつ「生徒が自分で学ぶ」場面を作っていく。

デジタル活用でいかに私たちの手間を減らしながら効率化するかもセットで考えて、負担感を減らしていく。

完璧主義を捨てて、「トライアンドエラー」を楽しもう

自由進度学習は、あくまで生徒が主体的に考えるための「手段」の一つに過ぎません。

それが達成できているなら、無理に形にこだわる必要なんてないんです。

「うちは今のところ、このプチ導入でいくわ」っていう、ちょっとハードルの低いところから取り組むのも負担を感じず、新しいチャレンジをするためには大事なことだと思っています。

まずは、自分の授業の中に「自由な時間」を少しだけ混ぜてみる。

ダメだったら「次はこうしよう」って笑い飛ばせるくらいのゆとりを持って、一緒に試行錯誤していきませんか。

皆さんの現場での「小さな失敗」や「小さな手応え」、またぜひ教えてくださいね。

※この記事はNotebookLMをアシスタントとして使用しました。

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