
Podcastのハイライト
「先生、本当はこの学校に来たくなかったんでしょ」
不意に投げかけられたその一言に、私は脳天を勝ち割られたような衝撃を受け、言葉を失いました。
当時の私は、赴任したばかりの教育困難校という「荒野」で、何を投げても届かない無力感の中、生徒を見下し、自分の価値観を押し付けていたのでしょう。
その傲慢さが、その一言で一気に引き剥がされました。
そこから定時制高校、そして後に国立大附属校の教壇にも立ちましたが、どこへ行っても突きつけられたのは「私自身の未熟さ」でした。
エリート教育とどん底の現場、その両極端を歩んだからこそ見えてきた、学力の優劣を超えた「本当の教育」の姿を、ありのままの言葉で語ります。
Podcastの概要
皆さん、こんにちは。黒瀬直美です。
今回は「4%から何を見るか〜優劣の彼方に〜」と題して、私の教師人生の軸となった、両極端な現場での経験についてお話しします。
私は元々、上位4%の層が集まる国立大附属校で中高時代を過ごした「温室育ち」の生徒でした。
そんな私が教師になり、最初に直面したのは、いわゆる「教育困難校」や定時制高校という、これまでとは全く異なる厳しい世界でした。
そこは、自分が受けてきた教育の常識が一切通用しない、まさに「別世界」でした。
特に忘れられないのは、ある女子生徒から「先生、本当はこの学校に来たくなかったんでしょ」と投げかけられた一言です。
当時の私は、エリート校出身というプライドを捨てきれず、無意識のうちに生徒たちを「できない子」として見下していたのかもしれません。
その一言は私の脳天を勝ち割り、教育者としての未熟さと傲慢さを痛烈に浮き彫りにしました。
そこから私は、自分を再構築するための「もがく日々」を過ごすことになります。
その後、私は(母校ではないですが)国立大附属校に交流人事で教員として勤務しました。
そこでは、少しの指示で生徒たちが素晴らしい成果を出してくれます。
しかし、それは教師の努力によるものなのか、それとも単に生徒の能力に頼っているだけなのか。
困難校での挫折を知っている私は、その状況を冷徹に見抜くようになりました。
地ならしや土壌作りを怠ったまま、生徒の力で得られた「実り」を自分の手柄だと過信することの危うさを痛感したのです。
20年以上の月日を経て辿り着いた結論は、どの現場であっても、教師の仕事の8割、9割は「土壌を耕し、種をまき、雑草を取る」という地道な作業であるということです。
学力の優劣にかかわらず、教室にいる全員が一生懸命になれる瞬間を作りたい。
そんな理想を追い求め、今も未熟な自分を鍛え続けています。
効率や成果ばかりが求められる今だからこそ、この泥臭い歩みの価値を皆さんと分かち合えれば嬉しいです。
この記事はNotebookLMによる文章作成を行いました。



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