216_失われた17年間、私は一体何を積み上げてきたんでしょうか?


「自分、先生として積み上げてきたのかな」

教員になったものの、教科指導どころか、生徒指導に明け暮れ、次いで子育てに明け暮れた17年間。

同期が教科指導でどんどん実績を重ねていく中、自分だけが取り残されているような感覚。

出遅れた、失った、という感覚。

でも、それが「失われていた」かどうかは、また別の話なのでした。

続きは、音声で。

https://youtu.be/aCr4xcv3bms


同期に水を開けられた、あの感覚…

教員になってから17年間、生活指導が中心の学校を歴任してきました。

その間に2人の子供の出産と育児があって、教科指導からは「1歩も2歩も3歩も4歩も5歩も6歩も」遅れていました。

同じ頃に先生になった人たちが、こんなことをした、こういう卒業生を出した、という話が耳に入ってくる中、自分は17年間も何をしてきたんだろうと。

劣等感と言いますか、自己肯定感の低い状況にずっと置かれていましたね。

ワンオペと、暗闇と、泥沼の日々…

夫は部活指導で土日も夜もいない。いわゆる「部活未亡人」に近い状況で、ほぼワンオペ育児。

異動のたびに「商業科で大変、定時制で大変、新聞にも名前が出た厳しい学校で大変」と続いて、スクランブルがかかったまま授業をやるような毎日。

さらに上の子がとても繊細な子で、育てるのがすごく難しかった。今思えば病院に行けばよかったと思うくらい、精神的に病んだ時期が2〜3年続きました。

「暗闇の中で難しい子供を抱っこしながら、出口のないトンネルを歩き続けているような感覚」でした。

時間じゃなくて、質なんだ…

やっと普通に授業ができる学校に行き、国立大附属で3年間の修行を積んで、そこからは「今まで失われた17年間を取り戻す」という気持ちで、ものすごいエネルギーと密度で走り続けました。

2回の入院手術を繰り返すくらい、ボロボロになりながら。

その経験を経て気づいたことがありました。

人間の成長って、時間や月日の積み重ねだけじゃなくて、あることを通してどれだけ深く広く学べるかが大きいんですよね。

17年間は「失われていた」んじゃなくて、そこでの必死の経験が深くて広い学びになっていたと、今は思います。

「さあこれからだ」と思ったら、残りが少なくなってきた…

いつの間にか「先生の実践、勉強になります」と言ってもらえるようになり、オンライン交流会を自分で開催できるようになり、あちこちから登壇依頼も来て、ようやく「失われた時間を取り戻せたかな」という思いになってきた。

でも、そう思えてきたところで、今度は残りのライフステージをどう考えるかという問題が目の前に現れてきています。

この配信は、出産や育児で出遅れ感を持っている人に、少しでも勇気を届けられたらという気持ちで話しました。

今にして思えば、「失われた」と思っていた時間が、いちばん深いところで自分を作っていたのかもしれません。


※この記事はClaudeをアシスタントとして使用しました。

#国語教師 #働くお母さん #育児と仕事 #教員のキャリア #出遅れからの逆転

コメント

タイトルとURLをコピーしました