
「自分が受けてきた授業って、結局今の自分の授業を大きく左右してるな」。
ふとそう実感することがあります。
小中学校の頃に出会った、工夫を凝らす先生たち。そして、塾に通えない経済的な厳しさの中で、必死に辞書を引きまくって古典に没頭した高校時代。
今の私の土台は、そんな生々しい経験と、先生たちが投げかけてくれた一冊の本や言葉でできています。
今、目の前の生徒たちに届けている言葉は、数十年後にどんな風に芽吹くのか。私の「根っこ」を振り返りながら、息の長い教育の在り方を考えます。
①【問い】
皆さん、こんにちは。黒瀬直美です。
最近の配信では「ゴリゴリっとした重たい内容」が続いていたので、今日は少し肩の力を抜いて、私自身のルーツについてお話しさせてください。
ふと考えたんです。「私が今やっている授業の正体って、一体何なんだろう?」って。
日々の授業で「これだ!」と思える瞬間もあれば、生徒の反応に「これで良かったのかな」とモヤモヤすることもあります。
でも、よくよく考えてみると、その答えは自分自身がかつて受けてきた授業の中にあるような気がするんです。
結局のところ、私たちは自分が受けてきた教育のバトンを、無意識のうちに次の世代に渡しているんですよね。
②【試行錯誤】
私の場合、その根っこは小中学校時代の体験にあります。
特に印象に残っているのは、小5・6年の時に担任をしていただいた女性の先生です。
子育てをしながら、忙しい中でも授業に工夫を凝らす姿は、本当に「マネジメント力の高いかっこいい女性」そのものでした。
視覚に訴えかけるその授業スタイルは、今でも私の教え方の理想として心に残っています。
中2の国語の先生も凄かった。
和術が巧みで、構造的な板書でスルスルと授業を進めていくんです。ある時、テストで85点を取ったことがありました。
すると先生が「自分の授業で85点も取るなんてすごいと思う」と、クラスで(名指しではなかったけれど)おっしゃってくれた。
それが当時の私の大きな自信になり、国語という科目に特別な思いを抱くきっかけになりました。
高校時代。経済的に厳しくて塾には一切通えませんでしたが、その分「古典だけは負けないぞ」という意地があったんです。
辞書を引きまくって自力で現代語訳を作り、予習なしでは立ち行かない厳しい授業に食らいついていきました。
清少納言と紫式部を比較したり、光源氏の手紙を書いたりと、当時の先生が出してくれた「凝った課題」に夢中になって取り組んだあの時間が、今の私の「教材研究」の原点になっています。
③【気づき】
でも、受け取ったものは教科の知識だけではありませんでした。
中学生の頃、社会の先生が「これ、いよ」と勧めてくれた『インドで暮らす』という本。
民族差別や偏見を鋭く告発するその内容に、真面目だった私は大きな衝撃を受け、目を見開かされるような思いをしました。
モーパッサンの『女の一生』では、厳しい現実を突きつけられ、女性として自立して生きる覚悟を植え付けられました。
授業や先生の何気ない一言が、単なるテストの点数を超えて、私という人間の「人格」や「批判精神」を形作ってくれたんです。
今、自分が生徒を前にして組織や環境について語るとき、根底にはあの頃に授かった「問い直す力」が脈々と流れているんだな、と改めて気づかされました。
④【結び】
私たちが今、目の前の生徒たちに届けている授業も、もしかしたら今は「ふーん」と流されているだけかもしれません。でも、それでいいんだと思います。
何十年か経って、生徒たちが人生の岐路に立ったとき。「あ、あの時のあの考え方って、こういうことだったんだ」と思い出してくれるような、そんな「息の長い授業」をこれからも求めていきたい。
私たちがかつての先生から受け取ったバトンは、そうやって時間をかけて、生徒たちの血肉になっていくはずですから。
もし今、授業づくりで孤独を感じているなら、一度自分の「根っこ」を振り返ってみてください。
あなたが救われた言葉、ワクワクした瞬間が、きっと次の授業を作る確かな力になるはずです。
一緒に、未来の誰かに届く種をまき続けましょう。
※この記事はNotebookLMをアシスタントとして使用しました。
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