
皆さん、こんにちは。
今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、そしてデジタル教育について、ゆるっとお届けしています。
今回は第253回、タイトルはズバリ――
「宿題は虐待なのか!?」というテーマでお話ししていきます。
https://youtu.be/f5JqahFLz9s?si=dDmcNFI8ihOLXE_g
教育をテーマにしたイベントに参加
5年ほど前、ある教育をテーマにしたフリートークイベントに参加しました。
一般の方が集まるもので、企業勤めの方、子育て中の若い夫婦、おじいちゃんおばあちゃんなど、20名ほどが集まり、教育の問題点について自由に語り合う場でした。
私はこっそり、職業を隠して参加したんです。
衝撃の一言「宿題は虐待です」
その中で印象的だったのが、海外勤務から帰国されたお父さんの発言です。
「日本では、宿題が本当に多いですよね。宿題って、虐待ですよ。」
――この一言、私、心にズキッと刺さりました。
日本の小学校では、毎日のように音読や計算ドリルが出されます。それを親がチェックするのも日常の一部。
でも、その方が言うには、
学校が終わった後は、本来なら個人の自由な時間のはず。
その自由時間を侵食する宿題は、人権侵害だと。
つまり、教育虐待だというのです。
当たり前を問い直す視点
もちろん、日本ではそれが“当たり前”。
教員も保護者も、子どもの成長を願って、学力の積み上げを信じて、宿題を出したり、見たりしているわけです。
けれども、見方を変えれば――
「それは自由の侵害なんだ」と言われて、私は本当に胸が痛くなりました。
学校現場にいると、こんな批判的な意見を聞く機会はなかなかありません。だからこそ、このイベントに参加して良かったと心から思います。
宿題は本当に“正義”なのか?
私自身、いまも「これって虐待かもしれないな」と思いながら、宿題を出していることがあります。
でも、それが学力を伸ばす唯一の方法なのか?
宿題は本当に“正義”なのか?
逆に、「宿題は虐待だ」という意見は行き過ぎなのか?
それとも、私たちの価値観そのものが見直されるべきなのか?
働き方とつながっている問題
ここで考えたのが、日本社会の「美徳」意識です。
個人の時間を犠牲にしてまで努力することが評価される――
それは、時間外勤務や休日出勤を“素晴らしいこと”と感じてしまう価値観に通じていないでしょうか。
知らず知らずのうちに、「働きすぎが美しい」「頑張りすぎるのが正解」
そういう風潮が、私たちに根付いてしまっているのではないかと、改めて感じました。
結びに
「宿題は虐待だ」という言葉は、確かに極端かもしれません。
でも、そうした言葉を自己批判的に捉えながら、これからも
「宿題とは何か」
「子どもにとっての学びとは何か」
考え続けていきたいと思っています。
というわけで、今日はここまで。
聞いてくださって、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう!



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