
Podcastのハイライト
「先生、その授業はレベルが低いです」
着任早々、生徒から真っ向から突きつけられたその一言に、私は言葉を失いました。
これまで公立校で積み上げ、先輩方から受け継いできたはずの「丁寧な授業」が、国立大附属校という特異な場所では通用しなかったのです。
彼らが求めていたのは、あらかじめ正解が用意されたレールの上を歩くことではありませんでした。
自らの既成概念を打ち破る「認識変革」であり、読み取ったものを論理的に再構築し、高いパフォーマンスで表現する場だったのです。
マイクをジャックして相撲の話から評論へと着地させた生徒や、卒業旅行で『城の崎にて』の舞台へ飛び出していった彼ら。
そんな「本物の学び」に貪欲な生徒たちとの格闘を通じて見えてきた、受験技術を超えた国語教育の姿を語ります。
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Podcastの概要
皆さん、こんにちは。
黒瀬直美です。今回は「国立大附属の生徒の望む国語の授業」という、少し特別なテーマでお話しします。
私自身、困難校での勤務経験が長いのですが、実は国立大附属校での指導経験もあり、その両極端な現場での学びが今の私の軸となっています。
国立大附属校は、未来の教育者を育てる教育実習の場であり、教科教育の最先端を走る研究機関でもあります。
そこに集うのは、偏差値70を超えるような、非常に高い知的好奇心を持った生徒たちです。
彼らは「学校は受験テクニックを学ぶ場所ではなく、自らの学びを深め、教養を身につける場所である」と明確に理解していました。
私が衝撃を受けたのは、彼らの徹底した「学び」の姿勢です。
ワークシートの穴埋めのような、教師がレールを敷いた授業を彼らは拒みます。
求めているのは、今までの自分の見方が大きく変わるような「認識変革」の瞬間です。
論理的に構造化し、仲間と協議しながら新しい価値を創出する。
そんな、大人顔負けの知的パフォーマンスこそが、彼らの渇望を癒やす唯一の手段でした。
私自身の根底にも、中高時代の経験があります。
かつて教師から紹介されたモーパッサンの『女の一生』や、岩波新書の『インドで暮らす』を読み、それまでの自分の価値観が「カキン」と音を立てて書き換えられた感覚。それが、私の進路や生き方の土台となりました。
伝説の教師・大村はま先生も仰るように、教師自身が「聞くに足る話」を日常的にし、生徒が「話したくてたまらない」状態を作る。
そんな徹底した準備と、生きた言葉のやり取りこそが、附属であっても支援を必要とする学校であっても、教育の普遍的な正解なのだと感じています。
生徒が「新しく自分を作り直していく」ような授業を、これからも追い求め続けたいと思います。
この記事はNotebookLMによる文章作成を行いました。



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