みなさんは、「インクルーシブ」という言葉を聞いたことがありますか。
「インクルーシブ(inclusive)」は「包摂(ほうせつ)的な」「包括的な」「すべてを包み込む」を意味することばです。
「インクルーシブとは? 社会を包み込む理念からSDGsの実現へ|SDGsにまつわる重要キーワード解説」
インクルーシブを説明するとき、インクルーシブの反対の意味を持つエクスクルーシブ(exclusive)ということばがよく用いられます。エクスクルーシブは、「排除的な、排他的な」という意味です。つまりインクルーシブとは、さまざまな背景を持つあらゆる人が排除されないこと、と理解することができます。

学校現場では共生社会に向けて、少しずつ多様な生徒が教室で一緒に勉強しています。小学校、中学校では進んでいますが、高校ではまだまだ発展途上。
今回は、「インクルーシブ」という言葉もなかった20数年前に出会った、一人の生徒との体験談を通して、「インクルーシブ教育」への考え方を深めてもらえれば、と思います。
Aくんとの出会い

第二子を出産してから一年が経ち、育児休業も明けた五月下旬。
新学期の慌ただしさもまだ落ち着かない中、勤務校に復帰しました。
そのころの勤務校は、入試制度などの諸般の事情により、いわゆる教育困難校となっていた時期でした。
入学する生徒も様々な問題を抱えており、教科指導以前の生活指導に追われる毎日でした。
そんな厳しい実態の中で、私に気さくに話しかけてきた一年生の男子生徒がいました。
「先生、宇宙刑事ギャバンって知っとる?」
「僕は今度文化祭で歌うんじゃ」
「太陽に吠えろって知っとる?」
と、いきなりたくさんの言葉を投げかけてきました。
私は普通に受け答えをしましたが、彼は背も高く、がっちりとしているものの、話題が特異で行動も他の生徒とは違った幼児性があります。
この生徒は他の生徒とは違った個性があるのだという認識しかありませんでした。
やがて彼(仮にAくんとしましょう)には知的障害があるということを周りの同僚から聞かされました。
エスカレートするAくんの行動

Aくんはそのような障害を持っているためか、一般の生徒では彼を受け入れにくい所がありました。
幼い頃からの体験の積み重ねから、彼は学校では先生が自分の相手をしてくれるということを身をもって知っていました。
そのため、あっという間に先生の名前を覚え、休憩時間ごとに廊下を走り回り、先生に話しかけていました。
中でも彼は私のことを気に入ったのか、毎朝教員用の下駄箱の前で私を待ち伏せしたり、妙なことを書いた紙きれを下駄箱に入れておいたり、10分休憩ごとに研究室を訪れたり、掃除の監督場所にまで現れたりしました。
脈絡のない話やとめどない言葉の氾濫、校内のどこにいても私を発見するとものすごいエネルギーで私を追いかけてくる活発さ。
誰が見ても私に好意を持っていることは一目瞭然でした。先生はともかく、生徒も「先生はAに愛されてますねぇ〜」とまで言われるようになりました。
しかし、私は彼につきまとわれる時間が多くなったため、完全に疲れ果ててしまいました。
それは障害を持った生徒との対応に慣れていなかったというのもあります。
そんなことよりも自分の時間さえも奪われる勢いでづきまとわれる状態に、次第に精神的に追いつめられていきました。
毎朝下駄箱を避けて研究室に入る、研究室の内側から鍵を掛ける、掃除監督の場所を変えるなど、私の防衛方法も対応も普通ではなくなっていきました。
おびえる私を見て彼はさらに触ってくるなどの行為に及び、私はもはや正常な状態で勤務できなくなっていきました。
これは、彼自身の活発さ、エネルギッシュさが全面に出ていて、しかも思春期で女性に愛着を感じる年頃、ということが重なったので、異常でも何でもなく、当然と言えば当然の行動なのですが、それは、経験も知識も不足していた未熟な私には異常だと映ってしまったのです。
組織全体の問題にしてもらう

苦痛でたまらなくなった私は思い切ってカウンセリングを受けました。
そして問題を全体に投げかけ、この状態から救ってもらうよう呼びかけるというアドバイスを受けました。
現場の実態がそれどころではない厳しさがあり、忙しい先生方にこの程度の話題で会議を持ってもらうのは気が引けていました。
しかし、やはり私個人が正常に勤務できないというのは全体の問題でもあり、学校全体として受け止める必要があるという視点をいただきました。
会議で全体に投げかけたところ、様々な対応をしてもらえました。
校内で彼を見かけたら間に入ってもらう、掃除監督の場所を変えてもらうなど細かい配慮もして頂きましたし、Aくんの担任の先生にもかなり厳しく指導をしてもらいました。
そして何より一番私が落ち着いたのは、Aくんのお母さんと会って話をしたことでした。
Aくんの生育歴を受け止める

Aくんのお母さんから、
- Aくんの生まれたときの状況
- 三歳で障害がわかったこと
- 小学生の時の様子
- 友達との交流
- 家での様子、
- お母さん自身のしんどさ
など、様々な話を聞きました。
私はそれまで「障害者」という印象でしかAくんを捉えていませんでしたが、彼が一人の人間として育ってきたことを知りました。
それは私自身が母となっていたためでもありますし、Aくんのお母さんの話を自分のこととしても受け止めることができるようになっていたからではないでしょうか。
狭い視点でしか彼を受け止められなかった状態から解き放たれ、私は自分を取り戻すことができました。
Aくんの人間としての生き様

それ以来、Aくんへの恐怖は収まりました。
彼がつきまとってきても不快だと言って相手にしないし、行きすぎたらすぐに彼がかなわない先生に厳しい注意をお願いしました。
そして彼の行動が素晴らしいものであれば、ほめて評価しました。
振り返ってみれば当たり前の対応ですが、それがなぜできなかったのか。
それはやはり私自身の経験のなさにもあります。障害を持った生徒と関わったこともなく、どこか許しすぎるところがあったのではないかと思います。
この問題に関してずっと関わっていた養護学校で長い間勤務していた先生からも、いろいろな助言をいただきました。
やはり実際に関わって体験してみないと関わり方はわからないことだし、私のその許しすぎるところや受け止めるところは人と人の関わりの出発点だからこそ、Aくんも私を気に入ったのではないかと言われました。その先生は、
「Aはすごいやつだよ。あんな障害者はおらん」
と言われました。
その後Aくんが卒業するまで関係は続きましたが、彼と関わってみてAくんの「すごさ」を理解することができました。
周囲に冷たくされても、落ち込んでも、傷ついても、涙を流しても、また立ち上がり、自分を表現し続け、そしてものすごいエネルギーで人に関わろうとする不屈の精神。
いろいろな困難があって失意のどん底にあっても、またはい上がって自分の居場所をどんどん作り、生きようとするパワー。
彼を三年間見続けてきて、人間の価値とは何なのかと思いました。
勉強ができるとか、偏差値が高いとか、有名大学に入ったとか、そんな物差しは彼の前で吹っ飛んでしまいました。
今でも彼に会うことがあります。それは市街地でお祭りがあった時です。
先生たちが集まって見回りをすることを知っている彼は、市街地を走り回り、先生を捜します。
そして先生の異動記事が新聞で出るたびに学校に現れます。
今日も好きな自分のテレビ番組について語ったり、嫌なことがあったら涙を流したり、果てしない体力で自転車をこいでいることでしょう。全力で生きることに立ち向かっていることでしょう。
そんな彼に出会えた私は本当に幸せでした。
まとめ

いかがでしたか。
インクルーシブ教育といっても、学術書で読んだだけでは、机上の空論なのはおわかりですよね。
なので、私の長い教員生活でのかけがえのない体験をお伝えしました。
事例に学ぶことは多いです。
人間を見る目が変わります。
そして、障害の程度も人によって違うことがわかります。
ルールブックやハウツー本のようにはいきません。
だからこそ、教員同士のつながり、専門的知識を持った外部組織とのつながり、そして組織全体で支える体制が必要なのです。


