自分らしさを活かした生徒との関わり方とは?

授業デザイン

女性の先生の割合ってどれぐらいか、ご存じですか?

小学校は6割ぐらい、中学校では4割ぐらい、高等学校では3割ぐらいだそうです。

私が高等学校の先生になったときは、もう少し少なくて2割ぐらいだったでしょうか。

性差は関係ないと思いたいですが、そうはいっても、いろいろと女性ということで、どうしても男性にはかなわない部分もあり、女性だからということで悩んだり苦しんできました。

今回は、生徒との関わり方について、私の経験を述べてまとめたいと思います。

あくまでも一般的な性差という意味で述べていきます。一般的な話することによって、理解しやすくするためです。あくまでも個人差はあります。ジェンダーを押しつけているわけではありません。

男の先生と同じようにしようと思わないこと


新規採用時、ある50代の女性の先生が言われた言葉が、現在でも私の心にとても深い印象となって残っています。

「男の人と同じようにしようと思ったらだめですよ。」

その先生は、これから教員をやっていく私に、女性の先輩教員として何を一番心に置いておく方が良いかということを考えて言われた一言だったと思います。

でも今では「男だから」「女だから」という言葉はジェンダーバイアスのかかった言葉だと批判を受けるかもしれませんね。

私の初任校はいわゆる教育困難校で、生活指導に追われっぱなしの毎日でした

生徒との和やかな交流を思い描いていた私に、厳しい現実が毎日迫ってきます。

生徒とたびたびやり合わなければならない毎日。

生徒に悪いことは悪いのだ、こうあるべきなのだということを納得させるのに大変苦労していました。

当然生徒と年齢も近いので、彼らは私に対して、思ったことをずばずばと言い、また私が女性であるということもあって、気を緩めて分たちのわがままを通そうとする生徒が多かったように思います。

生徒にこちらの言い分が通らないというのは、教員としては指導力を問われるという思いこみからか、私はひたすら強気に頑張っていたように思います。

そのせいか、今にして思えば生徒も私に対してなにかしら息苦しいものを感じていたのではないでしょうか。

このように、男の先生並みにしなければならないと思い、体の大きさも、力も、声も全然違う男性の教員と同じようにしようと思うと、自分らしさが失われ、不自然な言葉遣いや振る舞いになり、逆に生徒に自分の思いが通じなくなります。

男だから、女だからと気負うのではなく、自分らしさを大切にし自分の言葉で生徒に伝えたいところです。

細やかな配慮や優しさを大切に

定時制に勤務時代は非常に厳しかったです。

教員として、きちんと指導しなければ、の気負い自体、全く通用しない生徒たち。彼らに先生という権威は通用しないのです。

私は慣れないまま、いつの間にか単なる「私」一個人として生徒に接するしかなかったのでした。

そんなある日の冬の夕方、ガソリンスタンド勤めの男子生徒が、手をあかぎれで真っ赤にして職員室に入ってきました。

「も~!見てえや。おれの手、あかぎれで真っ赤になって痛いんよ。やっとれんわ!授業なんか出れん!」

仕事で何か不快なことでもあったのでしょう。彼はややイライラしていました。

それを見てかわいそうに思った私は、すぐに自分愛用のハンドクリームを出し、

うわ~かわいそう。 これを良く塗って授業に行きんさい。」

と思わず彼の手に塗ってあげていたのです。(今やったらセクハラ?)

その彼はにこにこしながら授業へと向かっていきました。

その様子を見ていた男の先生が

「わしらじやったら、『行けえや。』と冷たく言って、そこでまたあいつはむしゃくしゃしてドアを乱暴に閉めて、出て行っているじゃろうね。やっぱり女の人がおらんといけんね。」

と言われたのです。

無意識にやってしまった母性的な行為でしたが、その時なんとなく自分らしい指導を認められたような気がして、救われるような思いでした。

やはり、優しさや思いやりというのは「厳しさ」の裏にも必要だし、傷ついている生徒やいらだっている生徒にはしっかり表に出しても良いともいます。

やんちゃな生徒には「柔よく剛を制する」方式で

育児休業を取り、母としての研修も積んだ頃だったと思います。

二人目の育児休業を終えて、復帰した時、生徒の名表を見て涙がこぼれそうになったことがあります。

その名前はその子が生まれた時に親が何度も何度も考えて、その子の成長を願って付けた、思いのこもった名前であり、それがずらっとならんでいるのです。

またある時は生徒のお弁当を見て、毎朝お弁当を作っている保護者の思いに共感し、じーんと胸にこみ
あげてくるもの
を感じたりしました。

生徒に対しても、この世に生を受け、いろいろな人の手を経て、様々な生育歴を経て成長してきてるという母親の視点で見るようになったのです。

そんなある日、古典の現代語訳をやらせている時のこと。

学年で三本の指に入るやんちゃな生徒がいらついていました。

彼はいかつい顔だちで目つきが鋭く、人を威圧して校内を歩くようなタイプです。

その彼がプリントの上下段を組み合わせればできる現代語訳の作業に手間取っており(彼は欠席がちで
現代語訳の作業のコツを覚えていなかった)、周囲の友人たちがすらすらとやっているのを感じながら、自分ができないいらだちを「こんなのできるか!やらん!」と言い放つことで吐き出していたのでした。

以前の私なら 「やりたくないならやらんでいい」ぐらいの一言は言っていたのではないでしょうか。

しかし、この時私は、上記の「一人一人名前に涙ぐむ事件」に遭遇し、聖母マリア様になっていました。

そこで、「どこがわからないの?」と優しく言い、「しるか、こんなの!」とさらに放言する彼には構わず 「じゃあ、これから私がここに書いてやってみるから、見ていてね。」と言い、丁寧に教えながらプリントに書き始めたのです。

次第に彼のいらだちが収まるのを近くにいて感じましたね。

「ほら、意外と簡単でしょ。それでね、次は・・・」 と、子供に優しくするように語りかけると、彼はやや恥ずかしそうな表情でぶっきらぼうに「もうええよ、自分で書くけえ。」と言って自分でやり始めました。

あまりにもあっさりと彼のいらだちが収まってしまったのにこっちが驚いてしまったくらいです。これはもしかして、あのやんちゃ君を柔らかい攻撃で制してしまったのだろうか、自分は制するという意識もなかったのに…と感じた一件でした。

要するに「柔よく剛を制する」方式です。技をかける前に、しっかりと自分が柔らかくなっておかないといけませんね。

自分らしさを大切に


「男の人と同じようにしようと思ったらだめですよ。」という言葉は今でも時々思い出しています。

特に自分の授業をビデオに撮って見た時ですね。

「少しはできる女風で、迫力あるかな?」と思っていたのですが、実際はなんとまあ、かわいらしいフレンドリーな自分の姿。

これじゃ全然怖くないわ。怖い路線で勝負はできんわ。」と実感します。

やはり怖くなくても、優しくても、たどたどしくても、ドジでも、押しが強くなくても、その人の個性で生徒に対面することで、生徒も先生の個性や人間性に触れ、交流も深まるのではないでしょうか。

その人間関係の積み重ねが信頼を生み、次第に生徒との関わりを深め、学び合う関係ができてくるのだと思います。

まとめ

圧の強い先生と同じようにしようと思わないこと。

細やかな配慮や優しさを大切に

柔よく剛を制する方式は有効

自分らしさを大切に

これをやったからといって厳しい現場ではすぐに状態が改善するということはほぼありません。

ですが、ついつい、圧の強い男性の先生と比べて、どうも引け目や劣等感を感じている先生(女性に限らず)、どうか自信を持って、自分らしさを大切に、優しく、しなやかに、しかしポッキリ折れたりせず、受け流しつつ、ご自身にも優しくしながらやっていきましょう。

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